アンソロ・学級

帰りの電車で前に座っていた人が、まだ見たことのなかった専門紙・『化學工業日報』を読んでいました。ありがたいなあ。


さてさて本日は、いま読んでいる途中の本を2冊紹介。


呉茂一・訳『ギリシア・ローマ抒情詩選』(岩波書店岩波文庫>/1991)


ギリシア・ローマ抒情詩選―花冠 (岩波文庫)

ギリシア・ローマ抒情詩選―花冠 (岩波文庫)


「ぎりしあ詞華集抄」「ぎりしあ抒情詩人」「ろーま抒情詩人」などのパートに分けられ、古代ギリシア・ローマの短い詩が色々載っています。
非常に趣のある古風な訳文で、それはそれで奥ゆかしくて良いのですが、僕のような不勉強な人間には、正直意味が取りにくかったりもします。


ギリシア詞華集」="Greek Anthology"といえば元祖アンソロジーなわけで、僕は「アンソロ」なんて言葉を耳にすると、直ちにメレアグロス*1なんかの名前を想起してしまうのですが、それは現代日本におけるあり方としてどうなんでしょう。
そして、今週からsakusaku』(tvkでは「かながわ33市町村アンソロジーなんて企画をやっておりますね。きょうは僕の好きな「開成のうた」をやってくれて良かったです。そして、勇希ちゃんの歌が予想よりまともで、ほっと安心しました。


柳治男・著『<学級>の歴史学』(講談社講談社選書メチエ>/2005)


<学級>の歴史学 (講談社選書メチエ)

<学級>の歴史学 (講談社選書メチエ)


教職免許を取ろうと、今年から教職科目に出ているのですが、その中の1つの授業で、幼稚園入学式翌日の教室を撮った映像を見せつけられました。
新入生の園児どうしは驚くほど接触せず、各自が好き勝手に、いやむしろ所在なげに動き回っていました。
そして、少なくない新入生が、壁際に1人で立ちつくしているのです。


「立ちつくしているのは、僕だ」
壁際の園児たちの姿に、自分が教室という空間で味わった疎外感をありありと見る気がして、僕はつい心の中でつぶやきました。
いやしかし、教室という空間に対する違和は、別に僕に限らず誰もが何らかの形で感じることに違いないのですから、少し訂正しなければなりません。
「立ちつくしているのは、僕たちだ」


23歳目前にして、いまだに(小・中・高の)教室での経験に支配されているのもどうかとも思いますが、しかし教室は、ほぼ例外なく全ての現代日本人が送りこまれる場所であり、そんなところはたぶん他にないのですから、そこでの経験はやっぱり考察する価値があるはずです。
そして、ちょっと考えただけでも、自我の目覚めとか性の目覚めとかが、おそらくそれらと最も相容れない空間であろう教室へ通う時代に訪れるというのは、実はかなりトンデモないことなのではないかと気づいたりします。


なんてことを思っているときに、いかにして教室という生活空間・学級という生活集団が生まれたかみたいな話が、また別の教職科目で出て、そこでこの『<学級>の歴史学が参考文献として挙げられたので、レポートを書かねばならぬという理由もあって読み始めた次第です。
一度、<学級>というやつと本気で対決しなきゃなりません。


ちなみに、そのレポートというのは、参考文献に挙げられた本を1冊読んでなんか書けという、いささか知性と教養の水準が低いもので、しかもその参考文献に挙がっているのが光文社新書だったりするもので、そういうのを半日くらいで読み飛ばして適当に書くのが一番効率的だったのですが、大学生の沽券に関わると思ってそうしませんでした。
…なんだかなー。

*1:ガダラのメレアグロス。『ギリシア詞華集』を最初にまとめた人物とされる。