血液型

まず最初にはっきりさせておくと、僕は血液型性格判断を信じていません。
そして、「血液型性格判断が世の中からなくなった方いいか?」と尋ねられたら、「僕にとっては、できればないほうがいい」と答えるでしょう。(なぜこんなに慎重な書き方をするのかは、後を読めばわかります。)


人が「血液型性格判断が世の中からなくなった方がいい」と言う時、その人は単に「血液型性格判断は誤っている」と思っているだけでなく、「誤っているがゆえに問題を発生させる」と考えているはずです。
(まったく問題を引き起こさないことに目くじらを立てる人はいないでしょうから)


では、血液型性格判断はどんな問題を発生させるのか?


菊池聡・著『超常現象の心理学』(平凡社平凡社新書>/1999)は、それに対する答えの一つを提供してくれます。


血液型性格判断は差別を引き起こす
という答えです。


詳しい説明はしませんが、生まれつき決まっている血液型によって、会社の人事が左右されたりする(そういうことがあるとこの本には書いてあります)のは、明らかに差別だろうということです。


これは、非常にいい解答です。
血液型性格判断に否定的な人から見た時、「血液型性格判断は差別を引き起こす」という考えは、血液型性格診断を世の中から積極的になくそうとする正当性を与えてくれますから。


しかしね…
僕は最近、この考えにどうも賛成できないんですよ。


もし、血液型性格判断によって会社の人事が決まっていたりしたら、それが問題なのは事実だと思います。
でも、そういうことってそんなに多いんでしょうか?
もし特異な例なのだとしたら、「差別だ!」と騒ぎ立て、あたかも社会的な大問題のようにして血液型性格判断をボクメツしようとするのは、それはそれでどこか歪んだ考え方なのではないでしょうか。


よく胸に手を当てて考えてみると、僕が血液型性格判断で受けている被害は差別でも何でもありません。
たまに飛び出す、他の人の血液型性格判断トークが楽しめないだけです。
(しかもそれは、『超常現象の心理学』に書いてあるように、差別性、勝手に性格を決めつけられるハラスメント性なんかが理由ではなく、ただ単に自分の信じられないことを語られるから、というだけの理由のようです)
つまり、自分が楽しめないという、実に個人的な理由で、僕は「血液型性格判断は世の中からなくなればいいのに…」と思っているのです。
そこで、「血液型性格判断は差別だ!」と、社会的な理由をでっちあげて、世の中からボクメツしようとするのは、僕にとっては嘘をつくことでしかないのです。


そうやって、社会に対する働きかけをやめてしまうことに批判的な人もいると思いますが、僕は嘘がつけない性格なのでね…


ただとにかく、血液型性格判断トークを楽しめないのは不愉快なことです。しかも、そこで「血液型性格判断なんてウソだから」って言うわけにもいかない場面って多いじゃないですか?
そんなとき、血液型性格判断をボクメツしようとしない僕は、小さな反抗だけでとどめるのです。


友人「君の血液型は?」
自分「BのRh+」


今回ちょっと批判的なことを書いてますが、『超常現象の心理学』はいい本だと思うので、みんな読んでね。