論理学入門

むかし、神田神保町古書店街で、さして深い考えもなしに
ヴィノグラードフ、クジミン・著/西牟田久雄、野村良雄・訳『論理学入門』(青木書店<青木文庫>/1955)
という本を買ってきたことがあります。


そしたら、この本はソ連の教科書だったんですね。
著者の名前と版元で気付けよ、自分!
内容も実にソヴィエト社会主義共和国連邦
今日は、この本の中から非常に味わい深い部分を引用していきたいと思います。


まずはこの本の一番最初の部分。

第一章 論理学の対象と任務
一、思惟の論理と論理学
労働で、日常生活で、学習活動や社会的活動で、学問上の論文や学校の作文で−どんなばあいにも、またいつも、正しい思惟、すなわち規定された、矛盾のない、首尾一貫した、根拠づけられた思惟が必要である。

日常生活よりも何よりも、はじめに「労働」がくるところ、ナイスです。


続いて、「いろいろな概念のあいだの関係」について説明した部分。

外延が部分的に一致する関係 この関係にあるものとしては、たとえば、「青共員」という概念と、「コルホーズ農民」という概念とがある。

分かりづらい例を出すねぇ!
コルホーズ」は世界史でやった気もしますが。


さて、こっからはかなり毒々しい部分ですので、不愉快になる方もいらっしゃると思いますが、御了承願います。
「論理的思惟の基本法則」の1つである「同一の法則」を説明した部分。

詭弁論的なトリックは、現代の帝国主義ブルジョアジーとその右翼社会民主主義的な召使いどもの好みにあった思考方法である。ブルジョア政治家、反動主義者、労働者階級の裏切りものたちは、真理を歪曲し、同時に自分たちの思考過程が正しいという外見をつくりだすことに関心をもっている。それゆえに彼らは、考察の対象となっている問題の本質を混乱させようとこころみて、さまざまな策略にたよるのである。

この後、具体例として、国連総会における米英のやり口が挙げられます。
論理学の教科書で、国際関係について愚痴られても…。


次は、「論証の定義」という部分から。

根も葉もない、根拠づけられていない判断は、だれも説得することができないし、実践による験証をくわえられるやいなや、破産させられてしまう。
このことのみごとな例としてあげることができるものに、マルクスレーニン主義に敵対するすべての「理論」がある。
たとえば第二インターナショナルの日和見主義者どもは、プロレタリアートは、国内で多数者でないかぎりは権力をとりえないし、またとってはならない、という「理論的」命題をもっていた。
スターリンは、マルクスレーニン主義の敵どものこのような主張を批判して、つぎのようにかいた。「ここには論証というものがまったくない。なぜならこのような馬鹿げた命題を正当化する可能性というものは、理論的にも実践的にもまったく存在しないからである」。

論理学の教科書で社会主義者うしの意見の相違について愚痴られても…。


最後に「附録2」から引用します。ソ同盟科学アカデミー哲学研究所『哲学小辞典』第四版の「論理学」という項目だそうです。

マルクス主義弁証法的論理学はくつがえされることのないものである。なぜなら、それは生活そのものの発展の客観的論理の表現だからである。現代ブルジョア哲学は、資本主義の死滅と共産主義の勝利を合法則的にもたらす、生活のこの客観的論理をねじまげようとのぞんで、科学的論理学に反対する。現代のブルジョア哲学のこのさまざまな学派の特徴は、認識において無論理主義*1・非合理主義・直覚説の諸原則を主張しようという志向、すなわち論理的思惟を主観的な印象、人間の体験、「自然力」へのばかげた服従等々の混沌とすりかえようとする志向である。この論理学の否定のうちには、認識の道程につぎからつぎへと障害をもうけることをその唯一の目的としている現代ブルジョア哲学の反動性があらわれている。マルクス主義哲学は、科学的論理学のこの新型の「覆滅者」を、人間的認識の凶悪な敵として暴露している。

…ああ、そうですか。


全体の感想。
まあ、当時は色々あったんでしょうが、いま読むとギャグとしか思えません。

*1:原文では「アナロギズム」というフリガナが付いています。