福島メディア抗争史<第1回>

親局(はてなダイアリー)は毎日5時に日付が変わる設定にしてあります。授業の準備をしていたら、その5時を過ぎました。
というわけで、おはようございます、12月22日・金曜日、こちらはニセ受験生です。


せっかくなので、「福島メディア抗争史」を。
http://d.hatena.ne.jp/nise-jukensei/20061219


福島県には県域紙が2つあります。
福島民報』と『福島民友』です。
そもそも、明治時代に政党・政派間の争いが理由で民報から民友が分離したことが、2紙併存のきっかけだったようです。
民報=立憲政友会、民友=憲政本党という図式で2紙は激しく対立。その時、民報が社告として出したのが、以下の素晴らしい文章でした。

読者よ読者は福島市に、民友新聞なる悪徳新聞あるを知らん。彼は当初、新田貞橘、寺沢元良によりて経営さるるや二人は窃かに相語って曰く「地方に新聞を起して其勢力を伸ばさんには到底尋常の手段にて目的を達すべきものにあらず宜しく人の弱点を捕へ痛く恐喝すると同時に一方、鬼面をもつて懐柔し努めて倦まずんば社運の隆盛期して待つ可く吾徒は宜しく東京某紙の発達のひがみに倣つて可也」云々是れ彼等が社を創るの本義也、大憲章也、是れ露国の皇帝が遺したりと聞く三箇の没略教よりも尚ほ一層恐る可き危険の方針に非すや由来彼等は此恐ろしき憎む可き方針によつて記者を傭ひ而してあらゆる毒悪の筆法にて純無垢の良民を泣かしむる事茲に余ある…
(『地域情報化過程の研究』より)

まずいきなり相手を「悪徳新聞」と斬って捨てるところ、なんともカッコイイ。
そして、「二人は窃かに相語って曰く」のくだり。悪代官と越後屋の会話を彷彿とさせます。しかし、勝手に再現してるけど、あんたらその会話聞いたのかよ!?
「此恐ろしき憎む可き方針によって記者を傭ひ」云々にいたっては、もはやショッカーか死ね死ね団か、という感じです。「あらゆる毒悪の筆法」ってなあ…(笑)


さて、戦後に入ると民報は毎日、民友は読売の傘下に入り、懲りずに対立を続けます。そして、この対立が福島のテレビ放送の歴史に黒い影を落とすことになるのです。
(つづく)