福島メディア抗争史<第2回>(終)

「福島メディア抗争史」は2回目にして早くも最終回です。


http://d.hatena.ne.jp/nise-jukensei/20061219
http://d.hatena.ne.jp/nise-jukensei/20061222


さて、戦後になって『福島民報』は毎日と、『福島民友』は読売と手を組み、またもや争っていました。
そんな中、民間放送の時代がおとずれます。
まず、民間AMラジオ局ですが、民報主体のラジオ福島が1953年12月に開局しました。この時は、特に問題は起こらなかったようです。
ところが、民間テレビ局はすんなりと開局できませんでした。


予備免許を交付されながら開局できなかった放送局
(中略)

  • ラジオ福島福島県・テレビ局) 1957年10月22日に予備免許を交付された(呼出符号JOWR-TV)が、期限までに資本構成、役員構成の条件を満たすことができず、1958年4月1日に予備免許が失効した。
  • 株式会社福島テレビ福島県・テレビ局) 1960年11月24日に予備免許を交付されたが、役員問題でもめたため期限までに会社を設立することができず、1961年3月1日に予備免許が失効した。(現在の福島テレビ株式会社とは関係なし)

ウィキペディア「過去日本に存在した放送局」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8E%E5%8E%BB%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AB%E5%AD%98%E5%9C%A8%E3%81%97%E3%81%9F%E6%94%BE%E9%80%81%E5%B1%80より)


なんと、福島では予備免許が2度にわたって失効し、民放テレビ第1局がいつまでたっても開局しなかったのです。
その裏には、やはり民報と民友の対立がありました。まずラジオ福島(=民報側)が中心となってラテ兼営の放送局を作ろうとしたのですが、民友側も出資させなければならないという条件のもと予備免許がおりたため、2社の間で調整ができず免許失効。その後の免許獲得競争はいっそう激しくなり、2度目の予備免許(株式会社福島テレビ)もやはり失効。


このままではいつまでたっても福島に民間テレビ局ができない!!
…そんな事態にあたって県や県議会は1961年に「民間テレビ対策特別委員会」を設置し、各社間の調整に乗り出したのです。
調整は難航し、郵政大臣の2度にわたる指導助言と知事の数度の説得の末、やっと事態は収拾されました。
そのときの条件は、テレビ局(福島テレビ株式会社=現存の会社)の株の半分を県が持つこと…。


そう、福島テレビ株式会社は第三セクターなのです。
そんなわけで“福島テレビは県営テレビ”と揶揄されたりとか。


民報と民友の抗争は、福島における最初の民間テレビ局の開局を全国最低レベルに遅らせたばかりか、その最初の民間テレビ局を“県営テレビ”にしてしまったのです。
(おわり)