デカダン

昨日、今日と何の予定もなかったので、2日間丸々を、寝ているか歌っているか駄文をこしらえているかネットを見ているかというデカダンな生活態度で過ごしてみました。


デカダン」という言葉は、太宰治の『富嶽百景』で気に入った言葉です。『富嶽百景』といえば、「富士には、月見草がよく似合う。」の一節が有名ですが、なんというかこの言葉、ひねくれようとしてひねくれてる具合がこっぱずかしくてねえ…。過去の自分を見ているようでもあるし。
僕が好きなのは、この部分なんです。

新田という二十五歳の温厚な青年が、峠を降りきった岳麓の吉田という細長い町の、郵便局につとめていて、そのひとが、郵便物に依って、私がここに来ていることを知った、と言って、峠の茶屋をたずねて来た。二階の私の部屋で、しばらく話をして、ようやく馴れて来たころ、新田は笑いながら、実は、もう二、三人、僕の仲間がありまして、皆で一緒にお邪魔にあがるつもりだったのですが、いざとなると、どうも皆、しりごみしまして、太宰さんは、ひどいデカダンで、それに、性格破産者だ、と佐藤春夫先生の小説に書いてございましたし、まさか、こんなまじめな、ちゃんとしたお方だとは、思いませんでしたから、僕も、無理に皆を連れて来るわけには、いきませんでした。こんどは、皆を連れて来ます。かまいませんでしょうか。
「それは、かまいませんけれど」私は、苦笑していた。「それでは、君は、必死の勇をふるって、君の仲間を代表して僕を偵察に来たわけですね」
「決死隊でした」新田は、率直だった。「ゆうべも、佐藤先生のあの小説を、もういちど繰りかえして読んで、いろいろ覚悟をきめて来ました」


…会うだけで決死の覚悟が必要になるほどデカダンだと思われてたんですね。
なんでこの部分が好きかを考えてみたところ、「人にこんなひどいことを言われたよ」って報告する自虐ネタが大好きである自分に気付きました。
最近は、昔みたいにひねくれようとしてひねくれることはなく、まあまあ自然に生きているので、「富士には、月見草がよく似合う。」とか言われても、こっぱずかしいだけなのですが、「人にこんなひどいことを言われたよ」報告はいまだによくやっているので、「デカダン」とか言われているこの部分に共感するんだろうと思います。

走れメロス (新潮文庫)

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