保坂展人について本気出して考えてみた

週刊朝日09年10月16日号


先日ローソン屋敷に討ち入ってきて、amazonからコンビニ受け取りで届けてもらったDVD(これはまだ見られていないので後日紹介)を回収したついでに、『週刊朝日』09年10月16日号(10月6日発売)を買ってきました。
というのも、先の選挙で失業(?)した保坂展人衆院議員が記事を書いていたので、ご本人の「生活再建」を支援してあげようと…あ、でもこれ雑誌だから、売れても印税入らないか。


で、保坂さんといえばもう可哀想なほど選挙に弱いにもかかわらず、なぜかありえない当選をしてくることで有名です。


まずは小選挙区で供託金没収されたにもかかわらず、比例復活当選した第41回総選挙。
このとき、選挙区での得票率はヒトケタ代なわけで、ゾンビ復活しようにも体がバラバラになっちゃってますぜレベル。
後日、こんな大惨敗を喫したヤツが復活するのはおかしいだろうと、供託金没収点に届かなかった候補に比例復活を認めない法改正が行われるほどでした。
すごいぞ、法律を変えた男!…って、国会議員は法律を変えるのが仕事だけどね。


続いては社民党比例東京ブロック2位で臨んだ第44回総選挙。
弱小社民の、しかも名簿順位2位では、立候補した瞬間に落選確実が打たれたようなものでした。
ところが、「小泉郵政選挙の自民圧勝の流れで、自民の東京ブロック比例名簿が足りなくなる→本来0議席のはずの社民に1議席まわる→名簿順位1位の候補が小選挙区で供託金没収されていたため(さっき説明した法改正にもとづき)失格→保坂当選」というアホみたいな事態に。
自民の議席がよりによって社民に流れるとは、どんだけ民意に反し…おっと、村山内閣の悪口はそこまでだ。


で、この人は国会に出てくるとやたらと頑張るのでして、「国会の質問王」の異名を取りました。
なお、その後2代目「質問王」と呼ばれる議員も生まれています。元・国民新党(現・民主党)の糸川正晃衆院議員です。
2人の共通点は、ズバリ小政党所属であること。
与えられた質問時間が少ないゆえの質問主意書連発と、たとえ質問時間を与えられても人材不足で同じ人が何度も質問するハメに陥ることの2つが、「質問王」の発生条件と言えますから、まあ見方を変えれば小政党の悲哀に満ちているんですよね、「質問王」。
そんな小政党とはいえ、いまや社民も国民新もれっきとした連立与党!
…とりあえず来年参院選まではな。


さて、保坂さんの政治的出発点は、いわゆる「内申書裁判」です。
中学時代の政治活動を内申書に書かれ、高校に入れなかったとして起こした裁判なのですが、その政治活動というのがトンデモない。左翼セクト・ブントML派系の集会に参加したりしてるそうです。
ブントML派は、あの東大安田講堂籠城戦のとき、工学部の列品館って建物で機動隊と大立ち回りを演じるなど、血気盛んな党派として有名でした。
中学生でMLって…政治的に早熟とかっていうより、もはやヘンタイじゃねえかと。


ヘンタイといえば、最近になって保坂展人知名度を急速に上げたのは、児童ポルノ禁止法でアニメ等の創作物まで規制することへの反対によってです。
いやあ、さっき選挙に弱いって書きましたが、いまや弱小の社民党所属で中学にしてML派系集会で、最近は一部オタク層の期待も背負うって…この少数派っぷりで選挙に強い方がおかしいわ!
07年の都知事政見放送で、あの話題になった外山恒一候補が「多数決で決めれば多数派が勝つに決まってるじゃないか」と吠え、少数派にとっていかに選挙が無意味かを説きましたが、まさにそういうことです。


さて、この流れで外山恒一を持ち出したのは、決してテキトーではありませんで…。
あの政見放送冒頭の経歴紹介で「反管理教育運動を出発点に」というフレーズがありましたが、当時の「反管理教育運動」の中心となっていたのは、内申書裁判を経て「教育ジャーナリスト」となっていた保坂さんその人だったのです。
そんなわけで、保坂さんの今度の落選について外山さんがブログで取りあげていました。

保坂家の放蕩息子として


 保坂展人が落選した。
 80年代に全国に拡大した反管理教育運動の創始者であり、むろんこの私も多大な影響を受け、というか要は保坂の真似をするところから私の革命家人生は始まったようなものである。
 私が保坂の運動を知ったのは88年のことで、実はその時点ですでに保坂はラジカルからリベラルに転向しており、したがってそのことに気づくまでの、ごく駆け出しの頃の短期間を除いて、私は一貫して保坂に批判的なスタンスを取り続けてきた。現在では私はさらに「ファシスト」に転じているし、公式サイトのあれこれの文章を読んでもらえば分かるように、社民党みたいなのが一番の敵だとまで考えているから、なおさら「社民党議員・保坂」に対しては否定的である。
 が、一方で私は今なお、「保坂チルドレン」の一人であることを否定しないし、もっと云えば私こそは保坂の唯一正統な後継者であると自負してさえいる。むろん、リベラル転向前のラジカルな保坂路線の、という意味である。喜納昌吉と意気投合するなど、もともとセンス的にぬるい面はあったにせよ、保坂がいよいよダメになるのは80年代半ば、「土井たか子を支える会」に、保坂と同じく80年代前半の若い社会運動の優秀なリーダーの一人であった辻元清美や、こちらはそもそもどーでもいいフェミ系弁護士の福島瑞穂らと共に結集して、議会政治の世界の住人となってからである。そうなる前の保坂なら、90年に当時の私たち“反管理教育運動最左派”を自任する小集団が展開した「子どもの権利条約」批判もよく理解できたことだろう。
 そんなわけで私は「ダメになってからの保坂」しかリアルタイムでは知らない。それでも私の原点には「保坂体験」があるし、若い社会運動の一時代を築いた先輩としてずっと尊敬の念を抱き続けてもいる。もはやまったく支持できないし、かつての仲間(山本夜羽音とか)がその後も保坂の選挙運動を手伝っているのを目の当たりにするとケッとも思うが、しかし「革命家としては終わった人」の「余生」としては、保坂の現在もまあ、温かい目で見てはいたつもりだ。
 だから今回の落選を本当に残念に思う。
 もっとも過去に二度もヘンな当選の仕方をした人である。一度目は小選挙区で供託金を没収されながら比例で復活当選して、問題視されて以後そんなことが起きないようにと法改「正」を招いた。二度目は前回の衆院選で、自民党が勝ちすぎて比例の名簿掲載者が足りなくなり、代わりに社民党の保坂が当選した。そんな愉快なエピソードを聞くたびに、やはり保坂は今なお「革命の神様」に愛されているのだなと楽しい気分になった。
 今回だって分からない。当選した対立候補石原伸晃が急死でもすれば、保坂が繰り上げ当選である。社民党がもう1議席増やそうが、石原伸晃がいなくなろうが、どうせ大勢には何の影響もないんだから、いっそそうなればいいのに。
 ま、究極的にはどーでもいいんですけどね。


(「我々少数派」2009年9月1日http://ameblo.jp/toyamakoichi/entry-10332783189.html


で、この記事を読んでの感想なのですが、外山さん、あなたは保坂さんの3度目のミラクル当選を楽しみにしちゃイカンですよ。
ここまで僕が書いてきたことをまとめれば、


1.保坂はとんでもなく「少数派」である。
2.にも関わらず、おかしな経緯で当選してしまう。


という2点に集約され、そしてこれが保坂展人という人の魅力なのだと思いますが、つまりこれは「多数派が勝つに決まっている」民主主義なのに、ひょっとしてその中でも「少数派」が生き残れるかもしれない、という不合理な希望そのものではありませんか。
そういった希望をすべて絶望に置き換えることによってしか外山さんの目指すファシズム革命は到来しないのですから、ここは心を鬼にして保坂展人の当選阻止を願うべきなのですよ!


…と最後は熱くなってしまった。
ちなみに僕は革命の実現よりかすかな希望が好きなユルい少数派なので、3度目のミラクルがあったら面白いなー、とか無責任に考えてるだけです。