数奇な運命をたどった新聞・雑誌たち

スポーツ報知と東京新聞


1人の文学部生として、書物を淘汰していく時の力というのには、やはりなにがしかの畏怖を感じざるを得ません。
あのソポクレース*1の作品だって、現存するのはわずか7つなのです。


とはいえ、書物というものには、一度世に出てしまえば、あとは野となれ山となれというところがあります。*2


一方、新聞・雑誌などの逐次刊行物は、時の流れの中で、時の力に対抗して世に出し続けなければならないものです。
当然、創刊したらあとは野となれ山となれ…というわけにはいかず、「変わらずに生き残るためには、自ら変わらなければならない」とばかりに、時に応じて変身していく必要があります。
その結果、「いつの間にか全然違うところに流れ着いていた!」ということもしばしば…。


今日は、そういう数奇な運命をたどった新聞・雑誌たちを紹介しましょう。


読売系のスポーツ紙『スポーツ報知』『報知新聞』)は、実はものすごく長い歴史を持つ新聞です。
なにしろ、維新直後の1872(明治5)年、「郵便制度の父」前島密らにより『郵便報知新聞』として創刊されたのが始まりなのですから。


しかし、創刊から10年弱経ったとき立憲改進党大隈重信らに買収され、同党の機関紙となりました。
そんないきなり…と思いますが、当時の新聞は党派色が強いものが多かったんですね。たとえば、のち毎日新聞の東京版となる東京日日新聞*3も、主筆の福地源一郎(桜痴)が立憲帝政党を結成していたりしますし。


さて、その後の『報知新聞』ですが、党派色を捨てて大衆化路線を取ったことで、一時は東京を代表する新聞の1つとなりました。
しかし、やがて競争に敗れて読売新聞の傘下に入り、同新聞系列のスポーツ紙となったのです。


政党の機関紙だったものがスポーツ紙になるなんて…。
と思ったけど、Wikipediaを参照して納得しました。スポーツ報知は「全国の巨人ファンから『ジャイアンツの機関紙』と認識されている」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84%E5%A0%B1%E7%9F%A5)んだそうです。


なるほど、今は立憲改進党のかわりに、ジャイアンツの機関紙なわけですね。


東京新聞といえば関東地方を対象に発行されているブロック紙ですが、地元紙っぽい名称に騙されるなかれ、その実態は中日新聞東京本社発行のナゴヤ至上主義宣伝媒体なのだ!
…という冗談も、つボイノリオの名曲『名古屋はええよ!やっとかめ』(作詞・作曲・山本正之)なんかを聞くと、あながち嘘じゃないのではないかと思えてきます。


いずれにせよ、現在の『東京新聞』が中日新聞の東京版であることは事実。しかし、この新聞も本来は独立しており、中日に引き取られる前には独自の歴史を持っていました。主な源流は『都新聞』といいます。
ところがこの『都新聞』、やたらと花柳界の記事が充実しているのが売りだったことで有名なのです。
花柳界ってのは、芸者や遊女の世界ですよね。なかなか艶っぽい新聞だったわけ。


そういう歴史を知ると、あの「♪お風呂できゅっきゅっきゅっ」のキャッチコピー*4にも違った印象が…いや、生まれてこないな。

  • 『宝島』〜そしてVOWだけが残った


宝島社という出版社がありまして、最近ではこのミステリーがすごい!とか、宝島社新書のベストセラー「捨てる!」技術(辰巳渚・著/2000)とかが話題になったりしていますが、もともとは80年代サブカルチャー界に確固たる地位を築いた雑誌『宝島』が会社の顔でした。
ところが、この雑誌『宝島』、社名を冠しているくせに、もともと宝島社の発行ではなかったのです。
『ワンダーランド』として創刊された時の版元は晶文社。『宝島』と改題された時も晶文社


じゃあ、その時には宝島社は何をしておったかというと、まず社名が今と違いました。設立時にはジェー・アイ・シー・シーと名乗っていたのです。
この「ジェー・アイ・シー・シー」が、雑誌『宝島』の発行を晶文社から譲り受けた後、会社名も「宝島社」と改めたのです。
つまり、もともと他の会社の雑誌名だったものが、いつの間にか自分の会社名になってしまったわけ。


ところが、数奇な運命はこれだけではありません。
雑誌『宝島』自体も、やたらと路線変更が多い雑誌なのです。
そもそも、87年生まれの僕にとって、『宝島』がサブカル雑誌だという感覚はありません。
というのも、『宝島』は90年代にアダルト雑誌へ路線変更したからで、当時小学生だった僕ら世代も、電車の中吊り広告でアダルト雑誌としての『宝島』のみ知っていました。
知っていたからこそ、いつの間にか『宝島』がビジネス雑誌になっていた時には、ビックリしたものです。
おいおい、路線変更が極端すぎだよ!


さて、そんな『宝島』にも創刊から01年まで、長きに渡って続いていたものがあります。
まちのヘンなもの投稿コーナーVOWです。
そもそもVOWとは、“Voice Of Wonderland”の略…そう、創刊時の雑誌名『ワンダーランド』から来ている名前なんです。
うーん、雑誌に歴史あり、ですねえ。


漫画ばんがいちは、コアマガジン発行の成年向け漫画誌です。
成年向け漫画と言っても色々ありますが、ここのは女性作家多めでお送りする、読んでる方が恥ずかしくなるほどの純愛イチャラブ系。


そもそも、いくつかあるコアマガジンの成年向け漫画誌の源流は、親会社である白夜書房が発行していた漫画ブリッコ*5だそうです。
その『漫画ブリッコ』が打ち出した(従来の劇画調を排しての)「ロリコン漫画」路線の1つの面をもっとも良く継承し、極北にいたっているのが『漫画ばんがいち』と言えるかもしれません。


ところが、この『漫画ばんがいち』も最初からこの路線ではなかったんですね。
それは、雑誌の題名が語っていて、本来は「ばんがいち」を「番外地」と漢字で表記していたのです。
『漫画番外地』…こう書くと、ちょっと現在の内容とイメージが違ってくるんですが、それも当たり前。もともとヤクザ漫画雑誌だったのですから。
創刊時の題名は、ズバリ『漫画極道』!…おいおい。
ってか、ヤクザ漫画から、なんでよりによって正反対の純愛イチャラブ系に路線変更したんでしょうね。


そんな『漫画ばんがいち』には、93年5月号から連載され続けている「月刊まっとうスポーツ」というコラムがあります。*6
内容は、殆どがアンチ・ジャイアンツの立場からのジャイアンツ批判。雑誌の本筋と一切関係ねえ!


…というわけで、ジャイアンツの機関紙紹介から始まった今日の記事ですが、アンチ・ジャイアンツのコラム紹介に行き着いたところで大団円とさせて頂きたいと思います。

*1:ギリシア三大悲劇詩人のうちの1人。代表作『オイディプース王』

*2:文学部生とは思えない物言いですが…。もちろん、写本伝承の問題とかをひとまず置いておけば、ですよ。

*3:なお、『東京日日新聞』の創刊者の1人である条野伝平(條野採菊)は日本画家として知られる鏑木清方の父である。鏑木は父の経営していた『やまと新聞』の挿絵を担当するところから、自らの画業をスタートさせた。当時の新聞と文化のつながりの深さをうかがい知ることができるエピソードの1つ。

*4:覚えていない方、知らない方のために解説すると、購読申し込みフリーダイヤル026−999の語呂合わせです。しかし、お風呂と『東京新聞』って一切関係ない!

*5:この雑誌掲載のコラムで中森明夫が用いたのが、「おたく」という語の最も早い用例だとして有名。大塚英志(著書に『「おたく」の精神史』など)が編集を担当していた。

*6:残念ながら、これが『漫画番外地』、『漫画極道』時代にあたるのかは調べがつきませんでした。雑誌の大幅な路線変更を跨いでの連載だったら、ますます面白いんですが。