オウムのお弁当屋さん

00年代を僕は駒場で過ごした。
…というのは言い方がおかしくて、まだ09年なので今まさに過ごしつつあるのですが。
00年に駒場の私立中学校に入学し、そのまま高校に持ち上がり、06年からは大学の駒場キャンパスに通い、08年に所属が本郷に移ってからも何かと駒場に行っている僕は、東京の片田舎生まれのくせに駒場が第二の故郷なのです。


いきなりですが、殺人的ラッシュでお馴染みの東急田園都市線に乗って駒場に通うのにも慣れ始めた中学2年生の頃、僕の中2病的自己規定は「オウムに間に合わなかった世代」でした。
地下鉄サリン事件は95年3月。その時点で小学校1年生だった僕たちは、80、90年代の破産がオウム事件によって宣告された後の荒地に生きている…って、中2でそこまで明確に言語化できていたわけじゃないですけど。
ただ僕は、と学会・編『トンデモ本の世界』(洋泉社/1995/asin:4896911660に決定的な影響を受け、サブカルチャーを志向しながら、しかしサブカルチャーの領域から世界をひっくり返そうとしたオウム(とかオカルト一般)にはシニカルな態度を取らざるをえないというジレンマに陥っていたわけで、まさに「オウムに間に合わなかった世代」だったのでした。
まあ、22歳にしてこんな痛い自意識丸出しな語りもどうかと思うんですが、しかし中2の頃の僕は神保町の書泉グランデのオカルトコーナーに足を運び、その充実ぶりに(むろんシニカルな意味で)感動して、オウム思想に影響を与えたのではないかと立花隆が指摘した川尻徹・著『滅亡のシナリオ』(原著は祥伝社<ノン・ブック>/1985)の文庫化復刻版(辰巳出版<辰巳文庫>/1999/asin:4886414060)を買って喜んでいるセンスの人間だったことは確かです。


つい最近、久しぶりに書泉グランデに行ったことを書きました(http://d.hatena.ne.jp/nise-jukensei/20091113)が、その際にはオカルトコーナーだけでなく、それと同じフロアに一通り揃っている新左翼党派の機関紙類にも(またまたシニカルな意味で)感動してしまいました。
中2のあの頃から今まで駒場で暮らす間に、共産趣味(決して「主義」ではない!)も身につけてしまっていたわけです。つまり僕は擬似的に「全共闘に間に合わなかった世代」にもなってしまったわけで、病膏肓に入るとはまさにこのことですね。
とはいえ僕は、中2で『滅亡のシナリオ』を買い求めた続きのように、東京キララ編集部・編/西村≪新人類≫雅史・宮口浩之・監修『オウム真理教大辞典』(東京キララ社・発行、三一書房・発売/2003)を購入したのです。


オウム真理教大辞典

オウム真理教大辞典


本を読んで驚いたのは「オウムのお弁当屋さん」の項目でした。
一方で世界をひっくり返す武装蜂起を準備しながら、その一方で「お弁当屋さん」をやっちゃうセンスがいかにもオウム的ですが、そんなことはともかく、この「お弁当屋さん」は「世田谷区池尻にあった」んだそうなのです。
「世田谷区池尻」…駒場周辺の地理に詳しい方なら知っての通り、「目黒区駒場」のすぐそこです。というか、僕の通った中高の正確な住所は「世田谷区池尻」なのです。


調べてみると、場所が分かりました。僕が中高の陸上部員として走り回っていた校外コースの1つの途中に、それはあったようでした。
もちろん、「お弁当屋さん」があった時に僕はまだ駒場の人となっておらず、一方で僕が走っていた頃に「お弁当屋さん」はもうなかったわけで、僕と「お弁当屋さん」が交わることはありませんでした。
けれど、僕が来る前の駒場を、オウムが走り回っていたのかと思うと、「オウムに間に合わなかった世代」としては、なんとも言えない気持ちになるのです。