デウス・エクス・マキナ

まだQRのタイムテーブルが届かないので、「諸々」カテゴリーで更新。あ、レコメン!スタッフの皆様、本日も僕の拙いメールを取りあげて下さりありがとうございました。


最初に読んだギリシア悲劇オイディプス王で、すごく論理的に整然と破綻へ向かっていく筋に当時いたく感心したのですが、まあ確かにあれはあれでギリシア悲劇の代表作であることは間違いないんだけど、しかしギリシア悲劇が全部あんな論理的で整然としているかというとそんなことないんですね。


なにしろギリシア悲劇発祥のデウス・エクス・マキナというとんでもない手法がありまして、それはどんなものかというと、劇の最後に突然クレーンに乗った神様が出てきて、水戸黄門の印籠みたいに登場人物をいきなりおとなしくさせて、こんがらがった筋をいきなり終わらせてしまうという、論理もヘッタクレもあったもんじゃない手法なんですが、それを『オイディプス王』のソポクレスさえ現存1作品で使い、エウリピデスにいたっては殆どマンネリズム水戸黄門の印籠!)と言えるくらい使いまくってるんです。


しかし現実問題として考えてみれば、(特にエウリピデスの)悲劇に出てくるような登場人物同士の葛藤を解決する手段ってのは、神様の介入くらいしかないのかもしれません。
『ヒッポリュトス』なんかでは、誤解から息子を殺した父と、その当の息子との和解が、デウス・エクス・マキナによって成る*1のですが、そりゃあ神様でも介入しなきゃオヤジのこと許せないよ、殺された息子は。


そういやオデュッセイアの最後も、オデュッセウスオデュッセウスに殺された者たちの親族とが、神様の介入で和解してメデタシメデタシなんですよね。
逆に神様が登場しない和解ってあったっけか?

*1:もちろん、死んでからじゃ和解できないので、息子は瀕死の状態で父を許し、その後絶命するわけですが。