『肉体の悪魔』メモ

しかし、私の憧れの芽生えは、もっと巨大な刺激、末期を迎えた戦争のためにおしつぶされた。
レイモン・ラディゲが『肉体の悪魔』の冒頭でなんと書いているか。
「戦争が多くの少年にいかに影響を及ぼしたか、……つまりそれは、四年間の長い休暇であったのだ」


北杜夫・著『どくとるマンボウ青春記』より)


という引用で名前だけ知っていた肉体の悪魔。このたび初めて読んでみました。新潮文庫版(新庄嘉章・訳/1954)で。


肉体の悪魔 (新潮文庫)

肉体の悪魔 (新潮文庫)


さて、1週間前に反恋愛論みたいなことを書いてしまったものの(http://d.hatena.ne.jp/nise-jukensei/20100408)、僕は振り上げた拳の下ろしどころに困っています。
頭のてっぺんからつま先まで近代人のくせに“反恋愛でLet's 近代の超克!”みたいな発想をしてしまったからということもあるし、あとたぶん一番問題なのは、オノレの性癖とかみ合わない議論なんだ、これが。


それで、少年である主人公「僕」と人妻「マルト」との、少なからずスキャンダラスな恋愛を描いた『肉体の悪魔』を読みつつ、また色んなことをグダグダと考えていたのであります。
わけても、この恋愛物語の冒頭付近と結末付近に、それぞれ家族への言及があることが気になりました。

マルトに恋を抱いていた僕は、(中略)両親や妹たちのことは愛さなくなっていた。
(39ページ)

と、

僕にはもう家の者から苦情を言われる種もなくなった。夜になると、もとのように、煖炉の前で父と楽しい語らいをした。この一年の間に、僕は妹たちにとっては全くの他人になってしまっていた。その妹たちは再び慣れて昔の通りになった。僕は一番下の小さな妹を膝の上にのせ、薄暗いのを幸いに、ぎゅっと抱きしめた。すると彼女は泣き笑いをしながらもがいた。
(179ページ)

です。
この2つの部分が枠になって、「僕」の恋愛という事件を中に収めているようにも見えます。


もともとは、自分の個人的体験と重なっているがために気になったのでしょう。というのも、1人になったらまたすっかり(実)家の人に戻ったなあと、いま僕は現に感じているのですから。
しかし、この部分への注目をきっかけに「家」という論点を導入してみたところ、現代において恋愛が正義の側にある理由の一端が見えてくる気がしました。


はっきりいって、家は恋愛にとって邪魔っけな存在です。
昔っからみんなロミオとジュリエット式の悲恋は大好きですし、逆に、幼なじみの部屋に行くと家族は決まって旅行に出掛けていたりするもんです(?)
そして、巷間よく言われているように近代が個人をうみだした時代なのだとしたら、その結果としての現代は家よりも個人の恋愛の肩をもつに決まっています。
ちょうどいま、僕が教員免許取得のため放送大学で勉強している日本国憲法から引けば、現代日本において「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」(第24条)し、そして旧民法の定める家制度では戸主の同意が必要であったのに比べて、これは進歩ととらえられるわけです。


もちろん現行憲法が恋愛結婚を強制、ないし推奨しているわけじゃないですけどね。
しかしちょっと待てよ。恋愛結婚ってのは、家と対立する恋愛が家をうみだすことなわけですか…。
こりゃあどういうこっちゃ?


というわけで、恋愛に対して振り上げた拳をなんとか下ろそうとしたら、巻き添えで家族制度まで殴っちゃって、どうしようもなくなり始めた現状の記録メモでした。