せん子・花崖

ハマランチョのプレゼントで当選した神奈川新聞社・編著『4万号の遺伝史』上下巻(神奈川新聞社/2010/http://d.hatena.ne.jp/nise-jukensei/20100217参照)、いまさら読んだんですが、面白かったです。
昔の新聞の妙に格調高くて、何とも「上から目線」の文章が、逆に心地よい。相変わらずの近代萌えです。
例えば、『神奈川新聞』の源流『横浜貿易新聞』初の「女記者」である「せん子」の入社の辞。

世は男子(おとこ)のみの世に非(あら)ず。女子(おんな)は女子の身にふさわしき務めあり。家を守り子を養うはいうまでもなけれど、世の中騒がしき昨日今日血なまぐさき戦争(たたかい)の野辺に赤十字の標章(しるし)つけて立ち働くけなげの姉妹(はらから)さえおわすものを、我のみ独り竈(かまど)のもとにくすぶりてあるべきかはと、身は清少納言の才有るに非ず紫式部の筆有るにあらねど、僅(わず)かに取馴(とりな)れし禿筆(ちびふで)に青葉の露の二つ三つ満たらせ、せめては我が姉妹の立ちはたらきたまう世界の半面をだに写し出(い)で世の人々に紹介せばやと、拡張の潮に引き込まれ此度(このたび)本社の席末を汚すにいたりぬ。


上巻104ページより、括弧内は原文フリガナである)

いいなあ、「身は清少納言の才有るに非ず紫式部の筆有るにあらねど」だとか。
そう言っている「女記者せん子」ですが、実際には単に報道記事を書くだけでなく、小説や詩も載せていました。
小説を書いた記者は、「せん子」の他にも紹介されています。当時の新聞記者っていうのは、文化人だったんですね。
そのうちの1人、廣田花崖は「廣田新聞店」の創業者だそうです。


廣田新聞店といっても、なかなかご存じないでしょうが、僕は運転免許を取った自動車学校の隣がその廣田新聞店藤ヶ丘店だったので知っていました。
「花崖の代表作は往時の都筑郡の農村民俗を細やかに描いた随筆集『田園』」(上巻183ページより)だそうで、あのあたりは「近年まで『横浜のチベット』と呼ばれるくらい閑散とした農村」(廣田新聞店ウェブサイト「ひろたりあん電子通信withYoppi」http://www.hirotarian.ne.jp/より)だったとのこと。
それが、東急田園都市線の開通などによって変わっていくわけですが、廣田新聞店藤ヶ丘店あたりから市が尾駅方面に向かう間、鶴見川(谷本川)まではいまだに農地以外ほとんど何もなく、現在の田園都市線では珍しい車窓からの眺めとなっています。


『田園』の廣田花崖が作った新聞店を起点に、急に沿線風景が「田園」状態になるというのも、なかなか面白いじゃないですか。
何にでも歴史は宿っているものですね。