プアプア・ヒポクラ・テンブラ

教育実習関連のあれやこれやで忙しく、しばらくお休みしていました。すみません。
今学期の時間割も決まってきたので、それに合わせて来週からは木曜・土曜をレギュラーの更新日にしようかなと思っております。
どうぞよろしく。


さて、本日は最近読んだいくつかの本について感想を書き散らかそうと思います。


裏表紙に載っている著者経歴を見ると、

1962年・広島局に転勤させられた.
(中略)
1967年・詩集『罐製同棲又は陥穽への逃走』.東京へ転勤.

とあり、例の「プアプア詩」を含む詩集『罐製同棲又は陥穽への逃走』が書かれた広島は、転勤「させられた」地だということが分かります。
実際にその「プアプア詩」を読んでみても、

註1 広島市基町にある。各方面行きのバスが入り乱れる。日常、私はここを利用しない。
註2 バスセンターのコンクリートの床はいつもぬれていてつるつるする。
註3 私は毎年東京へ転勤希望を表明するが、聞き入れられず遂に四年が過ぎた。


(「売春処女プアプアが家庭的アイウエオを行う」より)

といった具合に、転勤「させられた」地としての「広島」が登場します。
そして、この「広島」は、雑然とした生活感を詩に与えることに成功していますが、とはいえ、転勤先が松山だったら「松山」と、福岡だったら「福岡」と入れ替わって構わないものでしょう。
ほんらい、詩にとって交換のきく言葉は弱みであるはずです。

註6 父母はこの私の詩集出版に反対して、詩よりも健全な家庭をつくることに意を用いよ、といった。私は詩は健全であると反論した。

(「番外私小説的プキアプキア家庭的大惨事」より)

なんて部分を読むと、“不健全”な詩をつくるのに、転勤「させられた」地の広島は都合がよかったのではないかと感じますし、60年代が劇的に詩の領域を拡大していく上で、この「広島」という言葉の可換性は避けて通ることのできない道だったのだとも思います。
しかし、いま必要なのは、「広島」と言ったら、広島でしかありえないような「広島」なのだ…というのが、僕の文学的というよりはむしろ政治的な主張だったりするのです。


古い医術について―他八篇 (岩波文庫 青 901-1)

古い医術について―他八篇 (岩波文庫 青 901-1)


ヒポクラテスの作品群の中から、8篇が訳されています。中でも「流行病」という作品の中に列挙されている症例が印象的でした。

第一例  ピリスコスは城壁のそばに住んでいた。彼は病臥し、第一日目に高い発熱があり、発汗し、夜間は苦痛があった。
第二日。病勢全般的に昂進し、晩おそく浣腸によって正常の排便があった。夜間は安静。
第三日。早朝と正午までは平熱になったように見えた。しかし夕刻高熱が出て発汗をともない、渇きを訴え、舌は乾燥し、排尿は暗色であった。夜は苦痛たえがたく、眠れず、全く精神異常となった。
第四日。全般的に病勢昂進、尿は暗色。夜間いくらかたえやすくなり、尿の色も比較的良好。
第五日。正午ごろ、むらのない少量の鼻出血があった。尿の色はさまざまで、球状の浮游物があり、それは精液状で分散し、沈殿しなかった。坐薬をあてがうと、放屁をともなう少量の排便があった。夜間は苦痛があり、睡眠は少なく、しきりにものを言い、うわごとを言い、末端部はいたるところ冷えてなかなか体温を回復せず、暗色の排尿があり、朝方わずかに眠り、無言、冷汗を出し、末端部は鉛色であった。六日目の正午ごろ死亡した。(後略)


(136ページより)


この調子で、病気にかかった患者がどのように死んでいくか*1が、淡々とした筆致で記録されています。
こういうのを何個も何個も並べられるので、読んでいて気が滅入ってきます。たいていの患者が「全く精神異常」になるのもキツい。例えば、ピリスコスの次に挙げられているシレーノスの例では、第三日目に「夜間は全然不眠、しきりにものを言い、笑い、歌い、抑制不能となり、第五日目には「少し正気づく」のですが、結局第十一日目に死亡しています。
さらにまた、第八例としてあげられているエラシーノスの場合、第二日目の夜には早くも「精神異常」になり、

第四日。病苦はなはだたえがたく、夜になり、一睡もできず、夢を見、かつは沈思した。その後容態悪化し、それははなはだ重大で、おびえ、はなはだたえがたかった。
第五日。早朝落ち着いた状態となり、すっかり正気づいた。しかし正午よりもだいぶ前、狂暴となり、抑制できず、末端部は冷えて鉛色となり、排尿はとまった。日没のころ死亡した。


(143ページより)

というふうに、心身が平行して死へとむかっていきます。


エラシーノスの「おびえ」に、現代のような医学のない時代に病を得ることが、どんなに恐ろしいことであったかということを思うと同時に、しかしながら現代における死が、この当時の死とどれだけ違うであろうかということも考えさせられるのです。
…死についてはまだ何も知らないなあ。



高校生のころ、たしか大学入試の過去問として、この本の「終章」を読んだことがあります。

幸福の青い鳥を探す長い旅から帰ったとき、チルチルとミチルは、もともと家にいた鳥が青いことに気づく。チルチルとミチルの以後の人生は、その鳥がもともと青かったという前提のもとで展開していくことだろう。それは、彼らにとって間違いなく幸福なことだ。自分の生を最初から肯定できるということこそが、すべての真の幸福の根拠だからだ。だからわれわれは、そういう物語を、つまり『青い鳥』を、いつも追い求めている。だが、この物語は、同時に、それとは別のことも教えてくれる。つまり、―その鳥はほんとうにもともと青かったのだろうか? それは歴史の偽造ではないか?*2


(223ページより)

という問いかけから始まるこの文章に僕はかなり影響されており、自分の過去について考えるときはいつでも「それは歴史の偽造ではないか?」という懐疑の声が聞こえ、過去は救ってはならないという結論に至るのが常でした。

過去はただ忘却され、現在と決定的に隔てられることによってのみ救済されるのである。


(228ページより)


ところが、それが引用というものの宿命とはいえ、今回はじめて『転校生とブラック・ジャック』全体を読んでみたところ、「終章」のみを切り出してくることがいかに暴力的なることであるかが分かってしまったのであります。
そもそも、この本の多くの部分は(「終章」とはちがって)対話篇の形式で書かれているのですが、そこでは

先生 だから、どっちでもないんだよ。ぼくはただ単に哲学をしているんだから。ただ単に哲学するってことは、ぼくにとってはすごく自然なことなんだけど、ほかの人にはどうもそうではないみたいなんだな。哲学は思想ではないというフレーズは、いまでは広く受け入れられていると思うけど、多くの人は、頭ではわかっても、どうも受けつけないみたいだね。どうしてなんだろうなあ。*3


(195ページより)

と言うときの、「思想」ではなくて「哲学」が行われているのですから。


でも、「終章」のあの書き方は、明らかに「思想」的解釈への誘惑を狙っているとしか思えません。入不二基義による「解説」でも、終章については「他の章とは異なるテイスト(思想風味?)の風景を見せてくれる」(236ページ)とされています。
そんなわけで、「終章」だけを引用するのは暴力的なことだし、いやそもそも「ただ単に哲学をしている」と対話篇での自分の代弁者*4「先生」に言わせておきながら、一方で「思想」的形式を濫用(?)する著者の節操のなさはどうなんだという気にもなるのですが、しかしそういう軽やかさこそが、およそ(広義の)文学というもののあるべき姿だと思うので、このことは不問に付しておくことにいたしましょう。


以上、3冊について、ざっと書いてみました。


きのうは『欽ちゃんのニッポン元気化計画』(三重テレビ放送)tvkでスタートしましたね。なかなか快調な滑り出しだったと思います。
あと、どうも来週の関東ラジオ界はレイティング(聴取率調査)週のようですね。自粛ムードですが。
そんなわけで、また木曜あたりにお会いいたしましょう。

*1:もっとも、病気が治った者の記録も一緒に並べられていますが。

*2:原文では、「最初から」と「歴史の偽造」に傍点が付されています。

*3:原文では、2回目の「ただ単に」に傍点が付されています。

*4:と言い切ってしまうのも実は問題なのですが、少なくとも引用した部分では、代弁者とみなしてよいと思います。