恋と言葉とオトコの娘

この前に牧歌について書いたときは、夢見られた純朴な恋愛のことにしか触れられなかったわけですが、牧歌をうんだヘレニズム期の文学は、そういう恋愛の描写ばかりしていたわけではありません。むしろ事態は逆で、アルカイック期や古典期と呼ばれる時代に書かれた先行作品との差別化のためにどんどん先鋭化していった文学全体の状況と平行して、恋愛描写も極端なものが好まれていたように思えます。


ヘレニズム期の叙事詩アポロニオス『アルゴナウティカ』は、ギリシアからアルゴ号という船に乗って黒海沿岸のコルキスへ黄金の羊の毛皮を取りに向かうイアソン一行の冒険譚ですが、この作品におけるイアソンとコルキスの王女メデイアとの恋が、現存する最も古いギリシア文学の本格的な恋愛描写の1つとされています。で、この恋がどうなるかというと、イアソンと、彼と対立するコルキスの国との板挟みになったメデイアは、コルキスからの追っ手である自身の弟をだまして殺し、イアソンについて行ってしまうのです。*1
まあこれは伝わっている神話の中でもまだマシなバージョンでして、アポロドロスが伝えているところでは、メデイアは弟を殺したうえに切り刻んで海に放り込んでしまい、追っ手の船はバラバラ死体を回収していてイアソン一行を取り逃がしたという話になっていますから*2、ここまでくるとそれなんてNice boat.?…ああ、アルゴ号でしたね、って感じです。


アルカイック期や古典期には、ロクに男女間の恋愛描写がないというのに、出てきた途端にコレというのは、人間の業の深さみたいなものを認識させられて、なんともイイ感じであります。
さらに、ヘレニズム期ギリシア文学は、その後に発展したローマ文学に決定的な影響を与えました。今回の文脈でいえば、パルテニオスというヘレニズム期ギリシア詩人が、神話・伝説の類から恋愛のエピソードを集めた散文作品を書いていて、内容はというと寝取り寝取られ、ひどいエピソードになると近親とネクロフィリアの合わせ技だったりして反応に困るのですが、この作品はローマの詩人であり、恋愛エレゲイア詩の元祖的な存在であるガルスへ、詩作の際の資料となるように送られたものなのです。
ガルス自身の作品は残念ながら散逸してしまいましたが、彼に続いたティブルスプロペルティウスオウィディウスらがローマの恋愛エレゲイアというジャンルを隆盛に導きました。彼らの恋の相手は「女主人」と表現され、女主人および女主人との恋への隷従が詩の主題となります。気まぐれで残酷な女主人に苦しむ詩人の嘆きが切々と綴られているのを読むと、じゃあさっさと別れろよとか思ってしまうわけですが、まあきっとこれが彼らの業界ではご褒美だからいいんでしょう。


さて、現代の我が国にも様々な変態的なる創作が跋扈しておりますから、精神の健全なる皆々様は“もうやだこの国”とため息の1つもつきたくなるかもしれませんが、たぶん人間の業の深さは古代から大して変わっちゃいないので安心するがよろしいかと。
いや、安心するどころか誇っていいと思います。なぜヘレニズム期以降の作品が変態的たりえたかと言えば、文学作品が多数の一般聴衆に向けて語られ、あるいは歌われるものから、より狭いグループ、あるいは個人で愛好するものになったということが一因として挙げられるでしょう。その背景には“本”の流通、“本”の“読者”(あるいは“筆者”)たりうる層の形成といった文化の爛熟、言葉の豊穣があるはずです。


以上が、女装メイドとそれをいじめるお嬢様とのラブコメという、まあなんとも倒錯した漫画である春夏秋冬鈴・作『レディーズメイド』(少年画報社を愛でるようになってしまった僕の、長い長い言い訳であります。
現在は第1巻が発売中。作者の春夏秋冬鈴(ひととせ・りん)さんは、これがデビュー作なのだそうですが、絵もお話も非常に安定しています。女装メイド×お嬢様以外のサブキャラもいきいき動いていて、あと意外にハートフル。
ただ、新人かつマイナー版元というだけでなく、「TSコミックス」なるレーベルで出ているという不安材料があったりするので、ちゃんと売れているのかなあとおせっかいな心配をしてしまいます。


レディーズメイド 1 (TSコミックス)

レディーズメイド 1 (TSコミックス)


そもそも「TS」とは「トランスセクシャル」の略です。「トランスジェンダー」ではないのですから、身体上の性の転換を必要とするジャンルです。女装はほんらいTSではありません。
つまり「TSコミックス」というレーベルで出ると、世間一般にはマイナージャンルすぎると敬遠されかねず、一方で本当に好きな人からはこんなのTSじゃないと怒られてしまうでしょうから、そのあたりどうなのかと。
正直なところ僕は、某ますますSO HOTな出版社さん*3から出ているオトコの娘専門誌とかも見ていないし、ましてTSとかなにそれ?おいしいの?状態ですから、このあたりのジャンルについてまともにコメントする能力がないのです。ただ、以上のようなジャンルを巡る問題はあるけれど、内容はいいものだよと言いたくて、余計なお世話ながら取り上げたというわけ。


さて、僕がこの作品を知ったのは月刊ヤングキング』11年9月号に載った最新話*4によります。『月刊ヤングキング』はこれがリニューアル号で、リニューアルしたけどすぐ休刊というのもよくある話だから一度見ておこうというつもりで買ったのですが、全体的に安直なエロが多くて少なからず辟易しておりました。そんな中で、サービスシーンはしっかりあるのに妙に爽やかな本作を見つけ出してしまったのです。
なんで好きになったかと言えば、…ツンデレぺったんこのお嬢様がストライクだからだろうと問われたら、それを否定はしませんけれども、しかしお話の方にもっと重大な問題が隠れているようなので、ここからはそのことを書きます。
単行本未収録話の深刻なネタバレになるのでご注意下さいね。


TSはトランスジェンダーではないということをさっきチラッと書きましたが、ジェンダーの越境という意味では、女装メイドというのはなかなか魅力的です。女装した上で、やることは“女性の仕事”(とされてきたこと)なのですから。
そのうえ、主人公で、お嬢様メリルのレディーズメイド(身の回りのお世話係)であり、屋敷の方針で女装させられているビリノアは、文字の読み書きがロクにできません。
舞台は18世紀末のイギリスに設定されていますが、この当時の識字率とか僕は知りませんから、歴史的な事実との比較はここでは行わないことにします。それより、男のビリノアにリテラシーがなく、お嬢様のメリルはリテラシ−があるという状況を押さえておかねばなりません。これが、最新話では重要な意味を持ってきますので、まずはあらすじを追っていきましょう。


ビリノアのところに、同僚のメイド・ローレンス(やっぱり女装である)が手紙を持ってきます。とはいえ、ビリノアは文字が読めないので、メリルお嬢様のところに持っていきます。読んでみたところ、手紙はお嬢様へのラブレター…かと思いきや、ビリノアへのラブレターでした。
しかし、作中でこのことが「ボーイズラヴ」(ないし「ボーイズラブ」)と表現されているのですが、18世紀末イギリスにその和製英語はないだろうに。まあ、巻末の作者コメント「描いてる時代にあんなメイド服やガーターベルト等はないのですが、描きたかったので、仕方がありません。」式に流しておきましょうね。
ローレンスのところに断りに行くビリノア。それでも、手紙は心に届いたと語り、大切な人に“いつもありがとう”と伝えるために、自分にも書き方を教えてほしいと頼みます。そして翌日、ビリノアはお嬢様に、確かに一言「いつもありがとう」とだけ書かれた手紙を渡すのでした。


たいていの社会で識字率は男の方から上がっていきますから、男が女の後から文字を学ぶという現象だけである種の逆転と捉えうるのですが、問題はそれにとどまりません。ビリノアの文字は、お嬢様に書き送るためだけに学ばれているからです。
現代人がどのように文字と書き言葉を与えられているかを考えてみましょう。まず僕たちは、学校という工場みたいな所に放り込まれます。そこには教師というプロがいて、僕たちに書き言葉を与えたと思ったら、それを使った作文を書かせてきます。つまり、僕たちの書き言葉は、それが与えられたそばから、教師に対するやりたくもない「私」語りに使役され、いわばシロウト童貞にされてしまっているのです。
一方で、ビリノアの学んだ文字の純潔は、彼の大切な人であるお嬢様へ自分の気持ちを伝えるために捧げられているわけで、このお話はロマンチックな言葉の初体験モノとして読むことができるのです。


ここで僕は最近読んだ、大塚英志・著『「妹」の運命』(思潮社/2011)の内容を思い浮かべます。
この本の中で大塚は、田山花袋『蒲団』を「文体の権力関係をめぐっての小説だ」と論じています*5。『蒲団』の主人公である男の作家・時雄は、自分の「妹」的な存在としての女弟子・芳子に「言文一致」体という新しい文体を与えて啓蒙を行い、一方の芳子は、師の時雄に対する手紙でのみ、その師に与えられた文体を用いた「私」語りをしているというのです。
師弟の、つまり擬似的な兄妹の間で使われるためだけに、男が女に文体を与えるというのは、大塚が糾弾するとおりに歪んだ事態です。けれども、歪んでいるがゆえの美しさも、またあるでしょう。少なくとも、上で見ておいた、僕たちが書き言葉を与えられる際の無味乾燥なやり方に比べれば。
そして、『レディーズメイド』最新話は、メリルお嬢様がビリノアに書き言葉を教えることにはなっていないものの、状況としては『蒲団』の、そしてそれはすなわち近代が通ってきた道の、男女逆転バージョンと捉えることができます。女に対して「私」語りするためだけに、男が書き言葉を学ぶのです。
そうであるならこの物語は、機械的に言葉を押しつけてくるような現代の合理性と、おそらくは前近代から相も変わらず押しつけられているジェンダーロールとに挟み撃ちにされた男たちにとって、十分に癒やしとなりうるのではないでしょうか。


「妹」の運命―萌える近代文学者たち

「妹」の運命―萌える近代文学者たち


しかしながら、『レディーズメイド』に充溢する性的倒錯への嗜好が、かくのごとく堂々と表現されることを可能にしているのは、冒頭の長い「言い訳」で書いたとおり、現代日本における「言葉の豊穣」であることを忘れてはならないでしょう。
「言葉の豊穣」を支えているのは何よりもまず、誰もが機械的に書き言葉を教えられてしまう公教育制度です。もしも現代日本が、作中で夢見られているような恋と言葉のロマンチックな関係の可能な社会であったならば、そもそも『レディーズメイド』は描かれていないことでしょう。
自己を支えている基盤にすっかり依存しながら、にも関わらずその基盤が取り払われる夢を見ている。この種の矛盾は、世界で今も生み出されているあらゆる表現の中から、いくらでも見つけ出すことができるのだと思います。
そしてやっぱり僕は、ふたたび人間の業の深さみたいなものを感じさせられてしまうのです。

*1:『アルゴナウティカ』第4巻参照。

*2:アポロドロス第1巻9章24節参照。

*3:こうやってepithet的なものだけ書いて、ズバリ名指すことをしない表現法はヘレニズム期以降の韻文の得意技で、苦労して現代に読んでいる僕たちをしばしば発狂させてくれます。

*4:ただし、もともとは季刊アンソロジー『チェンジH』の連載作であり、リニューアル準備で『チェンジH』の発行間隔が空くことになったため、『月刊ヤングキング』に「出張連載」されたものです。

*5:実際には、以前に一度詳しく論じたことがあり、その繰り返しであるとのことです。