2011まとめ

晦日なので、今年のまとめです。


テレビの話題から。
やはりなんといっても3.11でした。
あそこまで衝撃的で悲惨な映像ばかり、繰り返し繰り返し流れるという事態は、阪神大震災という経験があったとはいえ、おそらくこれまでのテレビ放送ではなかったことで、そのこと1つとっても、僕たちはいわば大がかりな実験の被験者になっているような気がします。時代の悲嘆がテレビの前の個々人の悲嘆とこうも直結するような光景は、生まれて初めて目にしました。
だからこそ当時あがった声高な(そして多分に感情的な)マスコミ批判の声には、どうにも馴染めないところがありました。震災という刺激に対して、ただ怒声の音量という数値が出力されるだけではなんともやるせない。僕たちは単なる受動的な被験者でありたくはないし、あってはならないはずです。


それと、震災を機に既存のマスコミが疑われるようになったという言い方もなんだかなあ。単にネットを介するメディアの発達で既存のマスコミの相対的な地位が低下しつつあるタイミングに、たまたま震災が重なっただけなんじゃないかという気がします。
あけすけな、ミもフタもない事実というのは、別にネットでしか伝えられないわけではありません。というか、たぶんそうした伝達方法の発達としては、テレビの登場が一番画期的だったのではないでしょうか。
うろ覚えですし、情報が錯綜した中での話なので、事実関係のはっきりしない部分はありますが、いまでも覚えていることがあります。震災直後、文化放送『ゴールデンラジオ!』大竹まことさんが駆けつけて喋っていたとき、ちょうど福島の原発で水素爆発があったということで騒ぎになっていました。東京電力あたりからは「建屋の外壁が崩落した」などという発表だったとか、そういうことが伝えられていました。そこで大竹さんが言ったのが、「テレビで映像を見たけど、外壁が崩落とかじゃなくて、これはもう爆発して吹っ飛んでるよね」云々。「いやこれ爆発してるよね」というあけすけな、ミもフタもない事実が、どう頑張ったって流れ出してしまうのが映像メディアたるテレビの怖さであり、良さでもあります。それに対する懐疑のための懐疑は、結局は独断と変わるところがないのではないでしょうか。


さて、独立U局のうち、GYTtvk、CTCの震災対応については、http://d.hatena.ne.jp/nise-jukensei/20110319にまとめましたので、よろしければどうぞ。


さて、ここからは雰囲気を変えて、このブログの中心であるtvkなど南関東独立U局まわりの話題に入っていきましょう。
なんといっても、4月改編で長く続いたお昼の情報番組ハマランチョが終了し、放送時間を30分延長した新番組『ありがとッ!』が始まりましたね。これは大きな話題です。
司会の2人だけで進行していた『ハマランチョ』に対し、『ありがとッ!』はコメンテーター2人を含む4人で進行しているところも意欲的です。
また、tvkテレ玉チバテレビが情報番組を30分ずつ共有する首都圏トライアングルの中では、この『ありがとッ!』の他にも、チバテレビの朝の番組が4月改編で変わりました。これは本当に長く続いた『朝まるJUST』が終了し、『ハピモ』となったのです。


関東U局の協力体制は、北関東にも広がりました。首都圏トライアングル群馬テレビとちぎテレビを加えた5局が「5いっしょ3ちゃんねるをスタート。平日23時〜23時30分の番組を同時ネットし始めることとなりました。
4月改編で群馬テレビを除く各局自主制作番組の同時ネットが開始され、遅れて6月の末から群馬テレビ制作『JOYnt!』(水曜)がスタート。こうして揃ったラインナップを見てみると、チバテレビ制作白黒アンジャッシュ』(火曜)テレ玉制作『玉ニュータウン』(金曜)あたりは、もうだいぶ長く続いている番組を持ってきたという感じですし、tvk制作『キンシオ』(月曜)もユルいながら勢いがある(どっちだよ)。
10月末から11月初めにかけては、この枠の特別企画として秋季関東地区高校野球のダイジェストも放送されました。


そういえば、10月改編直前には、開局40周年を迎えたチバテレビの記念特番が放送されないという不祥事(http://d.hatena.ne.jp/nise-jukensei/20110926参照)もありつつ…。
10年4月改編でスタートし、はじめ1年間放送する予定だったという戦国鍋TVは、好評につき半年予定を延長したものの、11年10月改編でいったん退場。しかし、『戦国★男士』『ウルトラゾーン』という後継番組を生み出すことになりました。
以上、特に取り上げるべきはこのあたりでしょう。来年はtvkが開局40周年です。


ラジオの話題に参ります。
これも震災がありまして、やっぱりラジオは潰せないということがよく分かったわけですが、しかし現実には若者はラジオなんか知らないという状況があり、このままでは将来的に潰れざるをえません。
そんな中、今年5月に「はじめまして、ラジオです。」という、NHKと在京AM・FM5局による高校生向け共同キャンペーンのイベントが行われたことは、1つのニュースでした。
このキャンペーンの各局代表パーソナリティどうしが集まったとき、最初に何をやるのかと思ったら、みんなオトナなので名刺交換が始まってしまい、ごく最近番組用のふざけた名刺(2代目)を作り直すまで、イイ歳してしばらく名刺なんて持ってなかった(!)から危なかったと語るのが、われらがレコメン!』(文化放送パーソナリティ・K太郎さんなのですが、この『レコメン!』、今年7月で8周年を迎えました。
もうずいぶん長いこと聴かせてもらっていて、震災後、計画停電と余震に怯えながら文化放送を流しっぱなしにしていた時も、いつものK太郎さんの声に救われていたりしましたし、今年は久しぶりにお会いした8周年記念イベントも含めてK太郎さんと直接お話しする機会も多く持てたのですが、最近になって判明したのは、来年3月でK太郎さんが『レコメン!』を卒業するという事実でした。
まあここまで来ちゃったんで、最後までついて行こうと思います。


あと文化放送については、10月改編から玉川美沙 ハピリー』でたまちゃんが復帰したのが大きいかな。
髭男爵山田ルイ53世のルネッサンスラジオ』が、『火曜JUNK 爆笑問題カーボーイ』(TBSラジオで話題になったために、Podcastランキング1位を獲得するという椿事もありましたが、これは小さなことでございます。


新聞について。
テレビのところで言いませんでしたが、そういえば今年7月24日に、東北3県を除く地上波アナログテレビ放送が停波したんでした(いまさら!)。
で、『神奈川新聞』がそのタイミングにあわせて紙面をリニューアル。どうしてそうしようと思ったかは知りません。
個人的には、夏に北海道から東京に戻ってくるサイコロの旅をやって、地方紙をいろいろ集めることができた年でした。『荘内日報』を買い逃したのが残念でしたけれども。


あとは、やっぱり震災でしょう。
地域紙石巻日日新聞』*1は、津波輪転機をやられて新聞が印刷できなくなったため、手書きの壁新聞で情報を伝えたとして全国的な話題になりました。
そのあたりのことをまとめた本、石巻日日新聞社・著『6枚の壁新聞』(角川マガジンズ・発行、角川グループパブリッシング・発売<角川SSC新書>/2011)を読みましたが、深みこそないものの、ドキュメントとして非常に読ませる1冊でした。



未読ですが、同じ宮城県にあるブロック紙河北新報も、河北新報社・著『河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙』(文藝春秋/2011)という本を出しているそうですね。


河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙

河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙


現在の状況や歴史的経緯に問題は多いし、実際に未来へむけての変化は不断に起きているわけですが、震災で新聞を代表とする既存メディアは終わった、ないし終わらせねばならぬ式の単純化は避けたいものです。たぶんそれが災害のような突発的な事態において一番脆い思考法ですから。


書籍・雑誌について。
探したんですが、コミックを除くと僕が買っている書籍のうちで2011年に出たものは、わずか9冊でした。
まあ、2000年も前の文学が専門なんだから仕方ない(?)
毎月読んでいる雑誌現代詩手帖』(思潮社で、ようやく現在とつながっている状況です。
で、やっぱり本も震災の影響を受けざるを得ないわけで。
Twitterでリアルタイムに発信され、『現代詩手帖』5月号に載り、徳間書店から単行本となり、一般にも話題となった和合亮一さんの『詩の礫』は、それが福島在住の、おそらくは日本現代詩の最前線にいる詩人によって書かれたものであるという理由で、どういう立場を取るにせよ、論じざるを得ないものであります。


詩の礫

詩の礫


…が、単行本を見ていないのでどうにも論じられない僕がいるという。
だから別の詩人の話をします。『詩の礫』は新実徳英さんがさっそく曲をつけましたが、今年の朝日作曲賞受賞作(森山至貴さん作曲混声合唱とピアノのための『さよなら、ロレンス』」)の詩は、これも日本現代詩の最前線にいるであろう四元康祐さんによるものです。
僕が今年読んだ中で、最も印象に残った詩集である四元康祐・著『四元康祐詩集』(思潮社<現代詩文庫>/2005)から、合唱組曲『さよなら、ロレンス』の終曲でもあるという詩を引用しましょう。

市場崩壊


欲望が洪水のように街を襲った
証券取引所の電光掲示板が砕け散り
欲望はうなりをあげてフロアーに奔流した
エスカレーターを流れ落ち交差点でしぶきをあげた
欲望には形がなかったので
扉の隙間や鍵穴から忍び込んで来て
たちまちのうちに部屋という部屋を覆い尽くした
大勢のひとびとが欲望の渦に巻き込まれて消えていった
生き残った者たちはみな欲望でずぶ濡れだった
夜になると街のあちこちでかがり火が焚かれた
ひとびとは小声で語り合った 何がいけなかったのだろう
わたしたちはただ幸せになりたかっただけなのに
その他には何ひとつ欲しがらなかったのに、と
ひとびとが眠りに落ちてしばらくすると
冷たい雨が降り始めかがり火の炎を消した


もともと91年に出た詩集『笑うバグ』(花神社)の収録作とのことですから、いまこれを読む僕たちには、どこか予言のように感じられてしまう一篇です。なるほど確かに詩人というのは予言者でなければなりませんが、しかしなぜ詩が予言になるかといえば、詩に書かれているのは何度も繰り返されてきた本質的な物事であるから、当然未来にもそれが起きるという理由によるのだと思います。この「市場崩壊」は、当時すでにあった「市場崩壊」の記録でしょうが、しかしそれは本質的な物事であるため、後に繰り返された「市場崩壊」の予言にもなったのでしょう。
それゆえ、たとえば逆にいま記録として読まれている『詩の礫』も、やがて予言のように読まれてしまう日が来るのではないか、天災を欲望によって人災に拡大してしまい、「わたしたちはただ幸せになりたかっただけなのに」と「小声で語り合」うハメになるのではないか、という嫌な予感が、僕にはあります。
だいたい、津波の件も日本三代実録(「六国史」の1つだよ!)にちゃんと書いてあったというのに、その記録を活かしきれなかったというのが、一文学徒の僕にとって痛恨の極みなのでありまして、予言は前もってちゃんとあるのだが回避不能という、ヘロドトス的な、あるいはギリシア悲劇的なペシミズムに陥ってしまうのでありました。


四元康祐詩集 (現代詩文庫)

四元康祐詩集 (現代詩文庫)


ちなみに「混声合唱とピアノのための『さよなら、ロレンス』」ですが、2012年7月7日に昭和女子大学人見記念講堂で行われる「遊声」(4つの大学合唱団によるジョイント合唱団)の演奏会で公開初演される予定です。
…実は僕、ここの卒団生でありますので、皆さま是非ひとつよろしくお願いいたします。


コミックも行きましょう。
テレビ東京では今週月曜に侵略!?イカ娘の最終回が放送されましたが、1年前に第1期侵略!イカ娘が最終回を迎えたとき、第2期(当時はあるか分からなかったけれども)が始まる前に立派なチャンピオン紳士になろうと決心した男がおりまして、それは誰あろう僕なのでありました。
というわけで、少年誌なんて縁が無かった人が、はじめて週刊少年チャンピオン』(秋田書店を講読して毎週イカ娘に侵略されたり、過去の代表的な掲載作をあたったりした1年間なのですが、おかげさまでイージス竹下さんがかっこよすぎる(『クローバー』)とか、レノマのアニキがガチムチすぎる(『囚人リク』)とか、こんなひどい打ち切られ方じゃ読者一同崩れてまうだろクソが!(ケルベロス)とか、いろいろ厄い話題に心をスナられて楽しい生活でした。


ケルベロス 10 (少年チャンピオン・コミックス)

ケルベロス 10 (少年チャンピオン・コミックス)


これは秋田書店ではなく、『週刊少年キング(82年休刊)を出していた少年画報社の作品ですが、宮原るり・著『僕らはみんな河合荘』第1巻(少年画報社ヤングキングアワーズコミックス>/2011)を読んだとき、高校入学とともに入ったアパートに憧れの女性1名と困った隣人2名ってマカロニほうれん荘』(鴨川つばめじゃん!…と真っ先に連想するくらいには、チャンピオン紳士への階段を登れたと自負しております。
まあ残念ながら、「河合荘」のほうには第6話で困った隣人がもう1名増えてしまうのですがね。


僕らはみんな河合荘 1 (ヤングキングコミックス)

僕らはみんな河合荘 1 (ヤングキングコミックス)


秋田書店少年画報社と並んで、個人的に重点版元に指定しているスクウェア・エニックスからは、高尾じんぐ・著『オシエシラバス』第1巻、第2巻(スクウェア・エニックスヤングガンガンコミックス>/2011)を紹介しておきましょう。
はっきり言ってすごく地味な作品で、よくよく考えてみると結構毎回フロ入ったりで青年誌的なサービスシーンを入れてるのかなと斟酌できなくもないけど、それが全然印象に残らなかったりします。
いまのところ一流だとはちょっと言えないものだと分かっているのだけれど、なぜか僕は好きなのでありまして、まあ理由としては、百合っぽい関係性、血縁に基づかない集団の共同生活、小動物的なかわいさ、そして大して何も起こらないストーリーと、僕のツボにはまる要素ばっかりだからなのだと思われます。
まあこのあたりの気分は、「恋と言葉とオトコの娘」(http://d.hatena.ne.jp/nise-jukensei/20110821)、「『侵略!イカ娘』試論」(http://d.hatena.ne.jp/nise-jukensei/20100925)あたりに書いたつもりなので、そちらで。


オシエシラバス(1) (ヤングガンガンコミックス)

オシエシラバス(1) (ヤングガンガンコミックス)


最後は思い切って成年向けから1冊。よいこは見ちゃダメ*2



佐伯・著『よわよわ』(コアマガジン<ホットミルクコミックス>/2011)
いわゆる(それ以前からあった劇画調のものとの対比としての)「ロリコン漫画」をレモンピープル』(あまとりあ社とともに出発させた漫画ブリッコ』(セルフ出版、のち白夜書房の流れをくむというコミックメガミルクの姉妹誌である漫画ばんがいちに掲載された10の短編(うち2つは同じ話の前・後編)を収録した、作者にとっての(商業)初単行本です。
さっきの秋田書店も単行本を出し渋る出版社ですが、コアマガジンもそういうところなので、出るだけでもありがたい。


よわよわ (ホットミルクコミックス)

よわよわ (ホットミルクコミックス)


同人ではド鬱な作品を描いてらっしゃるという話ですが、『ばんがいち』では誌風にあわせて、基本ハッピーエンドな展開ばかりです。ただ、じゃあとびきり健康的なラブコメかといえばそんなことはなく、ヒロインはたいていひどいコンプレックス持ちで、それを癒やすということがストーリーの肝になります。
まあ問題が解決して男女が結ばれるというのはギリシア新喜劇やローマ喜劇の昔からラブコメの定型ですけれども、とはいえ帯に書いてあるコピー「彼女達は強く、そして弱い」の通りに一筋縄ではいかないお話だってことです。
ただ逆に言うと、キャラクターにちゃんと強さを持たせて、弱さへの耽溺が鼻につかないようにしているということでもありますし、それにストーリーの語り方、感情や生活のディティールを表現する技術の強さが加わっているのも素晴らしい。
問題は、これが成年向け(しかも男性向け)ということで、つまりその、「実用性」の強度です。あとがきで作者本人が自作を「エロ付き少女漫画」と呼んでいるように、「実用性」という意味でいうと、まあちょっとばかし弱い。


僕に言わせれば、面白くないエロ漫画なんてエロくない音楽と同じで屁のつっぱりにもならないんだし、面白ければ何でもいいよということになるのですが、商業的にはそんなことを抜かしていてはイカんですね。
…でも、文芸における「実用性」ってなんなのさ?


古代なんかだと、文学にははっきりとした「実用性」がなきゃいけないみたいなことが論じられたりしているのですが、じゃあ実際問題としてその時代の文学作品がそういう風にできているかと言われたら、見たところそうでもないのです。
英雄叙事詩に出てくるヒーローたちは読者の見本になるんだと言われても、あいつらとても理想そのものであるようには見えないし、理想そのものに見えるように描かれているとも思えないのよね。
叙事詩と同じ詩形で書かれるジャンルに「教訓詩」というのがありまして、これはもっとも「実用性」に接近しているものなのかもしれませんが、ヘシオドスが『仕事と日』を作った紀元前8世紀ごろとかならいざ知らず、その後「教訓詩」を受け継いだのは、文学的知識があるためにちゃんと経験があるわけでもない題材を取り上げてでもジャンルの伝統に従うことで詩が書けてしまうといった類の人たちだったわけで、ロクに釣りもしたことなかったんじゃないかと疑われるオッピアノスの『漁夫訓』(後2世紀ごろ)なんて、「実用性」が目指されているとはとても思えず、あるのは文芸上の悦楽だけです。


たとえば、魚介類の「愛」(エロス)を利用して漁をする方法を述べる第4巻冒頭は、(人間が)愛によって破滅するという文芸上のお約束パターンをまず長々と語ることから始まっています。そして、たとえばコウイカ(セピアイ)を捕まえるには雌を紐に結びつけて波間を曳くのだなどと説明します。というのも、そうすると雄たちが雌にしがみついてくるからで、こうして彼らは「愛欲(ポトス)と一緒に死の運命(ポトモス)をつかみ取る」(第4巻163行)…いや誰がうまいこと言えと。


ギリシア教訓叙事詩集―アラトス/ニカンドロス/オッピアノス (西洋古典叢書)

ギリシア教訓叙事詩集―アラトス/ニカンドロス/オッピアノス (西洋古典叢書)


むやみに話が広がってしまいましたが、要はジャンルという外形がいったん確立してしまえば、それがもともと目指していた「実用性」は徐々に変容するもんだということを言いたかっただけです。



文学は飢えた子供の前で無力か、飢えた子供のために何ができるかという、サルトルあたりが言ったらしい問いがあって、それへの返答の仕方は(答えないというのを含めて)いろいろあり得るのですが、もし飢えた子供に何かができる文学があったとしたら、きっとそれは飢えていない僕たちには何もできないだろうというのが僕の答えです。
そんなわけで、来年も世の中に「実用性」のないことばをますます流通させるため、がんばろうと思います。いままさに飢えていないことに感謝しながら。
たぶん、「実用性」のないことばが無駄にやり取りされている状況になることこそが、“復興”ってやつなんだと思いますしね。


それでは皆さま、よいお年を!

*1:ふつう「〜にちにちしんぶん」ですが、本紙は「〜ひびしんぶん」と読ませます。

*2:同じく佐伯さんによる『ヤングコミック』(少年画報社)2011年11月号掲載の短編名だったりもする。