光文社新書3冊一気読み

数年前に話題になっていた光文社新書を3冊一気に読んだので、ちょっとずつ感想を。
しかしあれですね、光文社新書は「教養新書」と呼ぶには教養が足りないけれど、じゃあ中身がないかと言えばそんなことはない。個人的には、後発の新書群のうちS潮新書あたりになると教養もなければ中身もないってイメージがあるんですが、どういう違いなんでしょうね。教養新書としては後発でも、光文社にはカッパブックスの歴史と伝統があるんじゃい!ってところなんでしょうか。


三浦展・著『下流社会 新たな階層集団の出現』(光文社<光文社新書>/2005)


下流社会 新たな階層集団の出現 (光文社新書)

下流社会 新たな階層集団の出現 (光文社新書)


タイトルから分かるとおり、日本社会は階層が分化していて、「下層」ならぬ「下流」が生まれているのだ云々という内容。
佐藤俊樹・著『不平等社会日本 さよなら総中流』(中央公論新社<中公文庫>/2000/asin:4121015371山田昌弘希望格差社会 「負け組」の絶望感が日本を引き裂く』(筑摩書房/2004/asin:4480863605あたりと並んで、ゼロ年代の格差本の代表だったんじゃないかと勝手に思いこんでるんですが、どうでしたっけ?(個人的に、『希望格差社会』は未読なんですけども。)


いやまあ、論拠になっている調査の標本数が少ない感とか、分析が恣意的なんじゃないか感は正直ありますよね。
でもしかし、そこらへんのマジな論争には踏み込めないし、ここで踏み込もうという気もありません。僕は内容そのものよりも、内容を説得する仕方を味わいたい。哲学や史学ではなく文学をやっている人の職業病なんでしょうが。
例えば「第2章 階層化による消費者の分裂」では、男性の若者を4つの類型に分類しているのですが、そのうちの1つが「SPA!系」(80ページ〜83ページ)でして、

雑誌『SPA!』の主要読者層と思われる「中」から「下」にかけてのホワイトカラー系男性。

と、そもそもそのネーミング自体が雑誌名から来ており、具体的にはどのような傾向があるかという説明でも、ブランド・商品名で押してきます。

ブランド志向は強くないが、オメガなどは普通にディスカウント店で購入。でもスーツはスーツカンパニーでもいいし、ユニクロはよく買う。
あまり高級な趣味はないが、サブカル好き。オタクと言われない程度にオタク趣味を持つ。ガンダムが一般常識という典型的団塊ジュニアであり、異常でない程度にロリコン趣味や格闘技系趣味を持つ。

いずれは結婚して親とは別に戸建て住宅を買うだろうとぼんやりと人生を計画し、貯金もそれなりにしているが、それがいつになるか決め手がない。『週刊プレイボーイ』のグラビアアイドルみたいな女の子が突然目の前に現れて結婚できないものかと妄想する日々が続く。


著者が「マーケティング・アナリスト」なので、そこから来た叙述のテクニックなんでしょうが、これが一種「あるあるネタ」的な説得力を生み出していると思うのでありました。ほら、「あるあるネタ」って統計の裏付けがあるわけではないでしょ。でも、具体的なモノやシチュエーションがまとっている空気をうまく掬っているから「そうそう…!」と説得されてしまうし、なにより面白い。
この本の面白さというのはそういうところにあるし、内容の真実性はともかく、そういう説得の方法で話題になったという事実は重要じゃないかなあと思うわけです。


石渡嶺司、大沢仁・著『就活のバカヤロー 企業・大学・学生が演じる茶番劇』(光文社<光文社新書>/2008)


就活のバカヤロー (光文社新書)

就活のバカヤロー (光文社新書)


僕だって人並みに大学新卒の就活をしていた時期があったわけですが、今やこの現代型「シューカツ」の一般的な認知度も上がってきたらしく、人生の先輩方から「自分たちが就職したときと比べて、最近の就職活動はタイヘンらしいよね」とねぎらいの言葉をかけて頂く機会も多かったりしました。
それは素直にありがたいことです。そして、確かに以前に比べてタイヘンになっている部分もあるのでしょう。しかしそれはまだ事態の半分にすぎないという思いがわき上がって参ります。「シューカツはタイヘンなだけじゃなくて、かなり相当めちゃくちゃヘンなんですよ!」と叫びたくなるのであります。
で、この本。学生、大学、企業、そして就職情報会社のヘンさを、バカバカしい実例を挙げて語ってくれています。
いきなり、「おわりに バカヤローは誰なのか?」と題された章から引用しますが、

体系的で、具体的な解決策は本書ではあえて提示していない。ただ一つ言えるのは、この誰も幸せにしない茶番(引用者註:就活のこと)について、「やっぱりおかしい」と問題提起する必要があるということだ。


(271ページ)


という由でありまして、なるほど、「バカヤロー」という煽りは無責任な傍観者として楽しめてしまうし、むやみに被害者面したりする人も生み出しかねないとはいえ、問題提起には向いているのだと思います。
できれば、シューカツ生が先輩に「最近の就職活動はヘンらしいよね」と声をかけてもらえるようになるくらい問題が提起されてほしいなあと思ったりするのでした。


中川淳一郎・著『ウェブはバカと暇人のもの 現場からのネット敗北宣言』(光文社<光文社新書>/2009)


ウェブはバカと暇人のもの (光文社新書)

ウェブはバカと暇人のもの (光文社新書)


またスゴイ煽りタイトルなわけですがw
いや僕もね、ウェブとかネットとかデジタルとかについていけないオッサンの僻みみたいな新テクノロジーけしからん論は嫌いでありながら、一方で「乗るしかないこの新テクノロジーに!ガラケーが許されるのは小学生までだよねー」的なアレも大嫌いなので、だから著者と一緒にウェブ否定で吹き上がってもいいんですけれど、実はそういう内容ではないです。
そもそも著者自身ニュースサイトの編集者だけありまして、僕みたいな「バカ」で「暇人」のネットユーザー向けのネタを仕込んでくれています。「アーッ」じゃなくて、逐一「アッー」とか。個人的には元の文脈を離れてこの表現を濫用するのはなんだかなあ…なんですが、それはともかく。つまり、「バカと暇人のもの」というウェブdisは、半分くらい愛あるイジリだったりします。


でも残りの半分は、ニュースサイトの編集者としてウェブの現実に向き合ってしまった人間の絶望とでも言えるものなので、あまり能天気には笑えない。この本で語られていることは、ウェブは人間や社会を変えると夢見られてきた(cf. 梅田望夫・著『ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる』筑摩書房ちくま新書>/2006/asin:4480062858)けど実際はそんなことないんじゃないかということであり、ネットを通じてむしろ暴露されてしまう人間のどうしようもない下世話さや、愚かさの実例であります。
結果として実はこれ、ウェブについてのペシミズムというだけでなく、人間という存在全体についてのペシミズムの書として読めます。それゆえ残念なのは、最後の最後のまとめでナイーブなリアル礼賛のようになってしまっているところです。

人はご飯を食べて体を育て、人と会って友情を培い、勉強することによって学校に入り、そこでさまざまなことを学び、学校を卒業することによって社会進出の礎・資格を獲得し、恋愛をすることによって人生にスパイスが与えられ、性交をすることによって快感を得て子どもを作り、仕事をすることによって社会とのつながりを感じ、愛する人に死なれることによって悲しみを覚える。
私たちの人生、なんとリアルな場の占める割合が多いのだろうか。これら人生の大部分を占める要素にネットはどれだけ入り込めたのか?
大したことはない。
かなり入り込まれている人はヤバい。
もう少し外に出て人に会ったほうがいい。
なぜなら、ネットはもう進化しないし、ネットはあなたの人生を変えないから。


(244〜245ページ)


身体の健康な発育、友人とか学校生活とか学歴とか、あと恋やら性やら子ども、ついでに仕事、まあそういったリアルって実は当たり前に手に入るもんじゃねーんだよってことはひとまず置くとしても、ネット切断して外に出たって、そこで会えるのはしょせん人間、「暇人」になるとウェブで「バカ」をやっているであろう人間なんだから、別にあんまりいいことないよなーと思ってしまうんですよね。特に、この本で人間のバカさをさんざん見せつけられた後だと。


自嘲的に「IT小作農」と名乗り、途方もなく困ったネットユーザーに粘着されて困ったりしている著者が、「もう少し外に出て人に会ったほうがいい」と「バカ」な「暇人」に言い放ちたくなる気持ちもよく分かるのですが、なんだかそれは、カルト宗教にハマっている人に対して、頭ごなしに「俗世へ戻ってきたほうがいい」と説得するくらい効果がないし、根拠もあやふやである気がしてしまうのです。

そんな閉塞感のことを思うと、信者に「こっちへ戻ってきなさい」などと語りかけて効果があるのかどうかも疑わしい。こっちに帰ってきた信者はどうするんだ? 毎朝電車に乗って会社に行って、将来は部長になるのを夢見るのか? 酔っ払ってカラオケする楽しみもありますよ、なんて説得するのか? オウムにいれば、夢は人類の救済とか絶対自由・絶対幸福・絶対歓喜とかだぞ。戻って来ねえよ、それじゃ。(後略)


(『別冊宝島229 オウムという悪夢』宝島社/1995/asin:4796692290所収、鶴見済「みんなサリンを待っていた!」88ページより)


確かにウェブはバカと暇人のものかもしれないけれど、それなら同じ人間がやってるリアルも十分クソゲーなわけでありまして、まあ適度なところで諦めておくしかないのでありましょう。そして、諦めるための教材としてウェブってのは結構使えるのではないかなあ、なんてことも思ったりするのであります。


以上、光文社新書より3冊の読書感想文でした。