言いたい事も言いたくないこんな世の中じゃ


きょう行われた「第14回京都ハイジャンプ(J・GII)」(京都競馬場・芝3930m)は、京都巧者テイエムハリアーが1周目ホームストレッチで先頭を奪い、後はグングン引き離していくという予想通りの展開となりまして、今回もこのまま逃げ切りかと思われたのですが、終始好位を追走した9歳馬エムエスワールドがゴール目前でテイエムハリアーをかわし、平地を含め49戦目にして嬉しい重賞初勝利を挙げました。なんでもエムエスワールドステイゴールドの初年度産駒にして、中央初勝利を挙げた馬であるとのこと。息の長い活躍、頭が下がります。おめでとうございます。
なお、昨年11月の京都ジャンプステークス(芝3170m、3分30秒4、テイエムハリアー)に続き、京都の障害重賞はまたレコード決着(4分21秒6)となりましたね。どちらもテイエムハリアーがぶっ飛ばしたという事情があり、今回も逃げ切れていれば自身3つ目のレコード(もう1つは京都障害未勝利での芝→ダート2930m、3分12秒2)となっていたはずなのですが、これを阻止したエムエスワールドはさらにお見事でありました。
一方、断然の単勝1番人気に支持されたバアゼルリバーは7着に沈んでしまいました。今年1月に障害未勝利を勝ってから、OP特別(淀JS)、重賞(阪神SJ)と連勝し、さらに続けてJ・GIの中山グランドジャンプ2着連対と一気に出世してきましたが、さすがに疲れが出ましたかねえ。ここはいったん休養して、しっかり立て直してほしいものです。
ついでに、オープン入り後の5走で1回も掲示板を外したことのないシゲルジュウヤクは、きょうもしっかり4着入賞。この安定感にも引き続き注目です。


さて、きょうの本題。
政党・政派の抗争、消長、離合集散は僕の好物の1つでありまして、これまでも塩田潮・著『新版 民主党の研究』(平凡社平凡社新書>/2009/asin:4582854788浅川博忠・著『「新党」盛衰記 新自由クラブから国民新党まで』(講談社講談社文庫>/2005/asin:4062752581、さらには立花隆・著『中核VS革マル』上・下(講談社講談社文庫>/1983/asin:4061341839asin:4061341847あたりを読んでニヤニヤしてきました。ところが、マヌケなことに55年体制を担った「二大政党」(「一と二分の一政党」?)を押さえていないので、さすがにこれはマズイだろうと思い、最近になって以下の2冊を読んだのです。


原彬久・著『戦後史のなかの日本社会党』(中央公論新社中公新書>/2000)

戦後史のなかの日本社会党―その理想主義とは何であったのか (中公新書)

戦後史のなかの日本社会党―その理想主義とは何であったのか (中公新書)

北岡伸一・著『自民党 政権党の38年』(中央公論新社<中公文庫>/2008)
自民党―政権党の38年 (中公文庫)

自民党―政権党の38年 (中公文庫)


まず『戦後史のなかの日本社会党』ですが、いやあ実に面白い。戦前の無産運動の三つの大きな流れ、すなわち日本無産党系、日本労農党系、社会民衆党系が合流して、戦後の日本社会党が結成された…というところから始まるわけで、これには派閥抗争好きの血が騒がざるを得ません。
しかし、日本社会党の歴史を語り終えた後に来る「終章 日本社会党の『理想主義』」は、少々蛇足の感を否めませんでした。日本社会党の現実離れした「理想主義」を叱り、真の理想主義がどのようなものかについてご高説を披露してくれているのですが、そんなこと言われなくても分かってるし、わざわざこうやって説教されると逆に「非武装中立」を主張して政治ストに打って出てやろうかと思えてしまいます。いや、やらないけど。
重要なのは、ここまで丁寧に紡がれてきた日本社会党の歴史についての叙述から、終章に示されているような著者の理念は十分に読み取りうるということです。それなのにわざわざ最後になって理念だけを直接書く必要があるのか?ちとヤボってもんじゃないのか?
こういう本文から切り離された註釈を、ちょうど現実から切り離された理想のように無力だと感じてしまう僕は、“註釈をして語らしめる”という自分の理想をますます強固なものにして、その結果ますます本文に執着し、現実から遊離してしまうのでありました。


一方の『自民党 政権党の38年』についてですが、僕がどうこう言うより、収録されている「解説」(飯尾潤の中の評語を引用した方が良いと思います。

そうした叙述を支えているのは、著者のやや乾いた文体である。ジャーナリストによって書かれた同時代史には、書き手の思い入れによって情緒的な傾きを持ち、それがかえって説得力を失わせる例に事欠かない。実際にはどろどろとした権力闘争を扱っているのに、それが嫌みにならないのは、この文体のゆえである。始めから終わりまで格調を失わず、それでいて著者の好みが垣間見えるのも、また好ましい。


(331ページ)

狭義の文学(哲・史・文の中の「文」)を専攻している身ではこの本の政治学的ないし歴史学的な価値は判断できませんが、しかし「文体」と来れば僕らの出番です。そして確かに、この本は文学として優れていると感じます。まあ僕の本に対する評価基準は常に文学として優れているかどうかだけなのですが。
それにしても「著者の好みが垣間見える文体」という奥ゆかしさほど身につけたいものはありませんね。これを身につければ、先頃亡くなった吉本隆明のように「ぼくが真実を口にするとほとんど全世界を凍らせるだろうという妄想」「廃人の歌」より)に取り憑かれ、そして唯一真実を口にする方法として詩を書くなんて、そんなまどろっこしいことは必要なくなります。まさしく“註釈をして語らしめる”ことが可能になるのですから。


とにもかくにも、言いたい事も言いたくないこんな世の中じゃ POISON。
ホントウニイイタイコトなんて白昼の教室では註釈の行間に隠しておいて、ちょっとでも口に出すのは日が沈んでから、それも酒の肴にするときだけにいたしましょう。