うつくしくほろびることができるなんて、うそだ。

08年で活動休止したバンド・キンモクセイ『車線変更25時』という歌があって、いきなり「国道16号線」とか「246号」とか言い出すのも彼らが相模原のバンドだからですなあと、町田市民の僕は思うわけですが、さらに「左には潰れたレストラン」、「トンネルぬけても同じ様な景色ばかり続く」とサバーバンでロードサイドなランドスケープを提示されると、水無田気流の詩の世界も要はコレよね、とか勝手なことを語りだして、なにいってだこいつ、ということになります。


しかし国道16号線を、こういう典型的な郊外として捉えてそれで満足してしまうのは、たとえ社会科学者の態度としては正しくても人文科学者の態度としては間違っているので、昨年10月に出たDVD『キンシオ 特別編 新作撮りおろし 123の旅 16号を行く 〜気ままなぶらり旅〜』(発売・tvk/販売・TCエンタテインメント)を見ることにしましょう。
付属しているブックレットの「まえがき」には、キンシオタニさんがこの旅をしようと思った経緯が書かれています。

僕は(引用者註・国道16号線を)端から端まで旅してみたいと思った。


友達にその話をすると、16号はただ車が走っていて
ロードサイドのチェーン店があるだけだよ、と言われた。
それならそれでいい、自分で見てみたい。

実際に旅してみて、果たしてどうだったか?
それはぜひ皆様ご自身の目で確かめてください(ステマ)。


キンシオ特別編 新作録りおろし 123の旅 16号を行く ~気ままなぶらり旅~ [DVD]

キンシオ特別編 新作録りおろし 123の旅 16号を行く ~気ままなぶらり旅~ [DVD]


さて、僕がこのDVDで知ったのは、16号の起点についてです。
16号は神奈川県横須賀市の走水から千葉県富津市の富津までを環状に結んでいるのですが、起点は途中の神奈川県横浜市高島町に設定されています。
これは、横浜以南はもともと横須賀の海軍のためのルートとして整備されたため、他の部分とは性格が違うからだというのです。


性格の違いといえば、横須賀には単なる郊外の町の1つとして扱えないところがあります。他の都市に先がけて人口が減ってきていることです。
近年、少子高齢化都心回帰によって郊外がほろびていくのではないかという観測が出ていますが、横須賀はそのフロントランナーをつとめてしまっているかのようです。


そこで僕は、最近全巻読み終えたヨコハマ買い出し紀行』(芦奈野ひとし講談社/連載1994−2006)を思い出します。
というのも、タイトルにある「ヨコハマ」というのは「買い出し」に行く先であって、実際に主人公がいる場所は横須賀方面なので。
そしてこれは、人類が衰退し、滅亡へむかいつつある中での日常を描いた作品です。


衰退や滅亡といっても、

時代の黄昏が
こんなにゆったり
のんびりと来る
ものだったなんて


(新装版第1巻23ページ)

という言葉に表れている通り、作中で大きな事件が起きるわけでもなく、ただ穏やかな時間が流れていきます。決して「ヒャッハー!汚物は消毒だ〜っ!! 」とか、そういうことにはならないわけです。
そしてそのことが、読んでいる僕に共感と反発の両方を引き起こしつづけていました。


もともと、歴史の終焉の後の日常系に自分はかなり親和性が高いと自覚していますし、それどころか、もっともっとラディカルに歴史を終焉させなければならないとか極端なことをも考えているのですが、しかし一方で、滅亡をこんなに心穏やかに受け入れられるわけないじゃん、という思いも強烈にわいてきます。
なにしろ、ただほんのちょっと衰退しそうになっているだけで、わが国では1年ごとに総理大臣の首がすげ替えられ、4年弱ごとに国会議員が大量粛清されるような騒ぎになっているじゃないですか。
あと個人的に、若くして何度も入院するはめになったのも大きいですね。年齢や病気で心身が衰え、死にむかっていくのを受け入れることは、病院なんぞには縁がない日々の中で想像するよりずっと難しいと感じさせられました。それでもまだ半分だって分かってないと思いますけれども。


あまり若いうちから後ろ向きなことばかり言うべきではないと思うのですが、それでも以下のことだけは銘記しておかなければならない、その上で自分にできることをしていかなければならないと思います。
うつくしくほろびることができるなんて、うそだ。


ヨコハマ買い出し紀行 1 新装版 (アフタヌーンKC)

ヨコハマ買い出し紀行 1 新装版 (アフタヌーンKC)