アリスティッポスSOS

共和政末期ローマ政界&文壇の下半身スキャンダルについてレポートを書いていたら、いつの間にか2月になってしまいました。


そんな僕ですが、外を出歩くときにはストイックな文献学者のふりをしているので、電車の中でFXの本とかマンガとか読んでいる俗っぽい乗客たちを尻目に、「生命ある不朽の書を少数者の書斎と研究室とより解放して街頭にくまなく立たしめ民衆に伍せしめる」*1岩波文庫を開くのです。
ところが、その日開いたペトロニウス・作、国原吉之助・訳『サテュリコン』(岩波書店岩波文庫>/1991)を読み進めて、僕は(アカン)と思いました。これ、官能小説やないか。


サテュリコン―古代ローマの諷刺小説 (岩波文庫)

サテュリコン―古代ローマの諷刺小説 (岩波文庫)


有名な「トリマルキオン(トリマルキオ)の饗宴」の場面なんかは別にいいんですけどね。その直前のシーンはというと、プリアポス神殿の女祭司たちが自分たちの秘密の祭儀(これもエロ関連っぽいのだが…)を見てしまった主人公一行の口を封じるために乗り込んできて、何をしてくるのかと思ったら、そのまま乱交へ突入という、いかにもそーいうストーリーでありそうな展開。
こうなるともう、僕は岩波じゃなくてフランス書院マドンナメイト竹書房ラブロマン文庫を読んでるのかと…。


言葉にしか興味のないような顔をしていたにも関わらず、いきなり快楽にぎばさっと直結してしまったわけでありますが、じゃあ言葉の中に引きこもっていれば純潔を守れるかというとそんなこともなくて、言葉そのものの持つ快楽だけでおかしくなっちゃえるのもまた事実なのであります。
それを感じさせるのが例えば、「その瞬間いきなり/ぎばさっと脇腹突かれて/つい直結。」「直結の虹」より)などというナンセンスでキモチイイ行がたくさん詰まった疋田龍乃介・著『歯車VS丙午』(思潮社/2012)という詩集です。


歯車vs丙午

歯車vs丙午


現代詩手帖の「新人作品」欄(=投稿欄)に「直結の虹」が載っている*2のを見てから、頭の中がすぐ直結してしまうようになったのですが、こうして詩集でまとめて読んでみるとまさに、「こんな疑いようのない楽しい喜悦/感じちゃってもいいのかしら」「ハニーシロップ・オン・ザ・ロード)。…もちろん、いいんです!(by川平慈英
表題にもなっている「歯車VS丙午」終盤のプロレス実況的ハイテンション(「丙午が跳びはねる!/歯車が乱反射する!/丙午が食べる!/歯車が消化される!」)から、次の「豆腐慈雨」へのチェンジオブペース(「かわいた畑の穴にでも/頭脳をゆるく突っこもう」)なんて、なんとも見事です。


ただ、その次に置かれてトリを任されている「直結の虹」は、最初に読んだ時と印象が違いました。

直結に疲れた人たちは
携帯電話を畳の上で丸め込み
念仏を唱えて直結を燃やし始める

ぬわああああん疲れたもおおおおおおおおおん!
快楽には体力がいるからね、しょうがないね。


こうして「直結に疲れた」あと、「迂回して虹を越えてほしい」という祈りの言葉で詩集全体が閉じられます。
快楽主義をエピクロス流に調整してアタラクシアの境地に達してしまっては、官能小説も詩も書けなくなってしまうわけで、じゃあどうやって「迂回」するかというのが、モノを書こうとする人にとっては切実なことなんじゃないかなあという、快楽の領野を踏み越えた解釈へ誘われてしまうのでしたが、

その瞬間いきなり
ぎばさっと脇腹突かれて
つい直結。

*1:岩波文庫巻末「読書子に寄す ―岩波文庫発刊に際して―」より

*2:2011年3月号