10月4日Tweet「うたをしまったままの玉手箱を開いたら…」ほかへの自註

絵画と音楽のわからぬことが僕の二大コンプレックスでありまして、ある身近な人が音楽を続けているのをさいきん知ったこともあり、大学合唱団を卒業した時点でどこかの社会人合唱団に紛れ込んでおけばよかったなぞと今さらになって後悔しております。いや、僕はまだ学生だけども。
それにも関わらず、今年は所属していた大学合唱団の定期演奏会で当日ステージマネージャーをやらせてもらうことになりそうで、しかし舞台のあちら側の立場になるのは本当に久しぶりなものですから、浦島太郎と化すことは確定的に明らか。玉手箱が開けば、自分の失った時間についてしみじみ考える暇もなく、無事に終演するまでノンストップのドタバタ喜劇でしょう。


「美術館を出て冷い紅茶で渇きをいやそう」は谷川俊太郎の詩「あなた」の最終行。
最終連(といっても2連しかない詩なので、2連目)を引用しておきます。

あなたは私の好きなひと
死ぬまで私はあなたが好きだろう
愛とちがって好きということには
どんな誓いの言葉も要らないから
私たちは七月の太陽のもと
美術館を出て冷い紅茶で渇きをいやそう


この作品をふくむ4つの詩をテキストとした鈴木輝昭・作曲「混声合唱とピアノのための もうひとつのかお」を、僕は大学1年生の定演で歌い、そのあと同じ合唱団でできた当時の彼女とで、自分たちも夏の美術館を出て冷い紅茶で渇きをいやした…ような気がする。
気がするというのは、もうあの頃のことをよく覚えていないからで、どうにも僕には「死ぬまで私はあなたが好きだろう」なんてセリフははけそうにありません。

混声合唱とピアノのための もうひとつのかお (1143)

混声合唱とピアノのための もうひとつのかお (1143)


この引用は以下に挙げる詩から。

夏の美術館
四元康祐


むちむちしたルーベンスの裸を圧倒する
アメリカ人の夫婦(の壮大なお尻)


ブリューゲルの兵士に混じって腕組みをする
老いた守衛


ピカソの泣く女の前で振り向く
日本のミス・福笑い


真夏の美術館では
美と人類が真っ向から対峙している


他に燃やすものがなくなったら
僕らはこれらを火にくべて飢えと寒さをしのぐだろう


ウォーホールで温めたキャンベルスープ
子供らに飲ませてやり


レンブラントのかがり火に照らされて
廃墟のなかの夜を過ごす


窓という額縁に囲まれて
青から燃え上がる赤へと変わってゆく一枚の


美のなれの果てで


(『世界中年会議』思潮社/2002/asin:4783713243、58〜59ページ)


一方で、

こちらの引用はというと、以下の詩から。

お絵かき
最果タヒ


いろんな人が消えて、ふっと私のほうを見るとき、あなたはも
うだれもいないつもりでいるような、目をしている。そのころ
背景では鐘が鳴っていて、たぶんだれかとだれかが結婚してい
る。空間として私とあなただけが、だれともかかわりのない場
所にいて、他の場所はすべて幸福だった。
愛情といえばなにもかもが許されるのは、愛情がうつくしいと
いう前提があるから。絵の具をふんだんに使って、てんてんで
光を表現したその表面と、ゆらゆらと不規則に、動くその愛の
定義はただの虫みたいだったけれど、ふみつぶされることはな
い。殺虫剤でしぬのに。
100年たてば、どうせみんなだれも愛さなくなる。友達がみんな
しんでしまう。自分を知っている人が消えてしまう。それにも
っと早く気づいておけば、よかったのにって君は思うだろう。
人類なんてさっさとやめて、絵画にでもなっておけばよかっ
た。でも私は君が絵なら、冬の寒い日に薪代わりに燃やしてい
たと思うよ。


(『現代詩手帖』第54巻9号<2011年9月号>、思潮社、114〜115ページ)

実用のために“絵を燃やす”という同一のモティーフを用いているにも関わらず、一読して2人の作家の相違が感じられて面白いです。
前者では「美と人類が真っ向から対峙」したうえで、その「美」が「なれの果て」へと敗北していきますが、後者では「美」なんて「人類」と戦う以前に「愛情がうつくしいという前提」程度のものでしかなくなっていますし、そもそも「人類」(「夫婦」、「守衛」、「ミス・福笑い」etc.)なんて存在せず、それは「私」、「あなた」/「君」、「友達」/「自分を知っている人」以外の「だれか」でしかないわけです。
それに、後者が絵を燃やす理由は「冬の寒い日に薪代わりに」するためであって、するためではない。むしろ恣意性をことさらにアピールするために恣意的にそうするのだと感じさせますが、前者においては「飢えと寒さ」は切実で、なんとしても「子供ら」を守りながら「廃墟のなかの夜」を生き延びなければならないことが伝わってきます。


…と、こんなふうに言葉と年中たわむれられる結構なご身分を与えてもらっているんだから、そのかわり音楽や絵画から多少疎外されていても、愚痴なんて言っていてはいけないのかもしれませんね、僕は。


ついでに、

これの出典は、中島裕介・著『歌集 oval/untitled』(発行・角川書店/発売・角川グループパブリッシング/2013)の201ページです。
「抒情する」より「欲情する」のほうがよっぽど自然な言い方だし、明らかに他者への皮肉というより自分(たち)の賢者タイムアピールだし、「じゃあオナニーとかっていうのは?」「やりますねぇ!(得意気)」を連想してしまうのも、ま、多少はね?

歌集 oval/untitleds

歌集 oval/untitleds